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【長編小説】 初夏の追想

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30年の時を経てその〝別荘地〟に戻ってきた〝私〟は、その地でともに過ごした美しい少年との思い出を、ほろ苦い改悛にも似た思いで追想する。 少年の滞在する別荘で出会った人々との思い… もっと読む
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記事一覧

【長編小説】 初夏の追想 1

 ――今年も、あの季節が巡ってきた。  野山は息を吹き返し、来たるべき夏に向けて威儀を正…

【長編小説】 初夏の追想 2

 ――それは、人里離れた山の奥にひっそりと建っている、かつての別荘だった。  いまではす…

【長編小説】 初夏の追想 3

 ――ここに戻って来た時点から、どうも私には何かが取り憑いたようである。なぜなら、あれほ…

【長編小説】 初夏の追想 4

 ――私がその土地を初めて訪れたのは、三十五歳を迎える年のことだった。当時ひどい胃潰瘍を…

【長編小説】 初夏の追想 5

 私は無為に時間を潰しながら、日々を送った。一日のほとんどの時間を、二階のバルコニーで過…

【長編小説】 初夏の追想 6

 ――恍惚とした感動に浸っていた私の耳に、突然、砂利道を走る車の音が聞こえてきた。 「何…

【長編小説】 初夏の追想 7

 ――どのくらいそうしていただろうか。多分、一分間ぐらい、いや、わからない――なぜなら、その時間は私には永遠にも感じられたから――。  ある瞬間、ふと突然、彼の目に、わずかな動きが起こった。それは動きと言っていいのかどうかわからないほどの微妙な変化であったが、まるでカメラのレンズの焦点が合ったときのような、くっきりとした変化であった。  彼の目の中に、ようやく、人間として私にも通ずるようなものを見出すことができたのである。  それは、まったく不思議な出来事であった。  そして

【長編小説】 初夏の追想 8

 それから一週間ほどあとのことだった。私は午前中、居間で読書をして過ごしていた。祖父は、…

【長編小説】 初夏の追想 9

 ――裕人、という名前は……ゆたかで、満ち足りている。ゆるやか、のびやか、寛大で、広い心…

【長編小説】 初夏の追想 10

 犬塚家の別荘に招かれたのは、五月の中旬のことだった。  玄関のチャイムを鳴らすと、す…

【長編小説】 初夏の追想 11

 「お母さん、楠さんは、美術史にすごく詳しいんだよ」  そのとき守弥が言った。そして、数…

【長編小説】 初夏の追想 12

 ……ここにこうしていると、私は大切な記憶や思い出が、どんどん薄れていくのを感じる。以前…

【長編小説】 初夏の追想 13

 ……心から気の合う仲間を見つけるということは、意外にも難しくて、その歳になるまで私はそ…

【長編小説】 初夏の追想 14 

 ――彼らとの交流が始まって、数週間が過ぎていた。そして、六月の声を聞くとすぐに梅雨が訪れ、連日さあさあと小さな音をたてて雨が降り続いた。  山中の別荘ではこの時期、一日のほとんどを霧に包まれた中で過ごさなければならなかった。夜明けとともに発生した霧は、日中になっても山の木々のあいだに滞り、無音のうちにしっとりと枝葉を濡らしていた。そして、細かい雨が、いつ止むともなく、一日じゅう静かな音を立てて降り続くのだった。遠方の山々は、雨のカーテンの向こうに白く煙り、麓の街は、まるで海