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誰からも嫌われない自分になって、なんになるの

私には「なんでも話せる友人」というものがいない。
誰にでも良い顔をして、誰からも距離を置いている。

そうやって生きていると、人から嫌われることはほとんどない。
それは努力で勝ち得てきたものでもあるので、誇らしくもある。

でも人に嫌われなくなってからもずっと、生きるのがうっすらと辛くて、結局違う地獄へお引越しをしただけだったっていう。

誰にでも良い顔をするためには、ど畜生な自分を認めてはいけない。
だから、自分にすら自分の悪感情を隠している。
「めんどくさいなあ」とか「なにそれ、腹立つ」とか言ったりするけど、ひとに迎合するための虚言だったりして。
あのときすごく怒ってたね、とか言われて「いや、別になんとも思わなかったですけど…?」ということが多々ある。

誰からも嫌われない自分、を少しずつ手放さないと、自分が何を思っているのかもわからないまま、独りで終わってしまいそうだ。

誰からも嫌われない自分になるためにしてきた努力を、まず自分で認めてあげて、それにしがみついて苦しむ自分を成仏させたい。


私の人生の記憶は、幼稚園の同級生に仲間はずれにされたところから始まっている。
年中から通い始めた幼稚園だったので、年小から通っている子たちの中で私は異分子だった。
当時はそんなこと知らないので、理由はわからないが、自分は人から嫌われる存在らしい、と納得した。

小学生の頃、九九を覚えるまで部屋を出てくるなと命じられた。
子供の頃は好きなものにはずーっと齧り付いて、興味のないものはひとつも頭に残らなかった。
いつまで経っても九九は覚えられず、私は癇癪を起こした。
手近にあったビニール袋を引きちぎろうとしていたら、それを親に覗かれていた。
「えっ、何。病院に連れていくよ。」と蔑んだ目で見られて、やめてくださいと泣いて縋った。

私の親は正しいひとたちだった。
私の親が納得するもの以外は、存在しないも同然だった。
頭ごなしに否定することはしない。
ただ、なかったことになるだけ。
私は、親の言う良い子にしていなければ捨てられる子供なんだな、と理解した。

(誤解がないように言うけれど、大人になるまで苦労なく、十分に養われて育っていて、親には感謝している。
今も適度に仲良くしている。
幼い私の小さな怨念たちを、私がいつまでも捨てられていないだけ。)


私の幼馴染は太陽みたいな子だった。
明るくて優しくて、運動もできる。
彼女の周りにはたくさんの友達と、愛する人がいる。
眩しいあの子に照らされると、自分の暗いところばかりが露呈した。

中学生になる頃には、その子が心の底から妬ましくなり、恨むようになった。
帰り道にその子から走って逃げたり、「嫌いだ」と陰口を叩いたことがバレたり、醜い行いを繰り返した。
結局なんだかんだ今も付き合いがあるけれど、どういう神経してるのかなって思う。(私の厚かましさと、彼女の寛容さの両方に。)

その頃の私は狂っていて、クラスメイトの好きな人を奪ってみたりもした。
なんの関わりもなかったけれど、メールアドレスを聞き出して、毎日メールして。
「好きだから、付き合おう」と抜け駆けした。
結局、直接話したこともないまま付き合って、キープ要員にされて終わったし、クラスメイトとも縁が切れた。
人の欲望ってこんな感じか、と虚しくなった。

中学を卒業する頃に、突然その狂気から醒めた。

子供から大人になる過程で、世界のピントが合う瞬間ってあると思うんだけど。
例えば、今まで学校から貰ってきていたプリントとか、先生に命じられてやってきたこととか、それがどんな役割を果たしていたのかわかるようになるというか。
自分の主観だけで生きていたところから、急に客観的視点が生まれて、人間関係や時間、タスクが俯瞰できるようになった。

自分は人から愛されるような人間ではない。
それならば、人に好かれるように誰よりも努力しなければならない。


そして高校からは人間を徹底的に観察して、脳みそをフル回転させて心情を想像し、人間関係を向上させるテクニックを片っ端から実行していった。

毎日の通学時間に笑顔の練習をした。
相手の声のトーンやスピードに合わせて話すことを意識した。
話しやすくなる相槌の打ち方を実践した。
自分が言われて嬉しい言葉を発するようにした。
いつでも声をかけやすいように、口角は常に上げて過ごした。
返答はなくとも、自分からは必ずきちんとした挨拶をした。
自分の話は、相手の話のスパイスになるときだけに抑えて、とにかく質問を重ねた。
ユーモアについても学び、その場を和ませる言葉やおどける仕草を覚えた。
どんな相手に対しても、一定レベル以上の応対をした。

小さいことばかりだが、場数を踏めば踏むほど効果は上がっていった。
誰にも平等に優しく、感じがよく、礼儀正しい、誰からも好かれるであろう人間を順調に作り上げていった。
大学の頃の友人に「お前のこと嫌いなやつとかいんの?」と言われたときに、何を相手にしていたのかはわからないけれど、「勝ったな」と思った。

そして、お金に困ることも、暴力にさらされることもなく育った箱入り娘は、親の言うとおり、安定の代名詞とされる職についた。
誰とでも円滑な人間関係が築けるようになった彼女は、職場でも重宝され、幸せに暮らしましたとさ。
めでたし、めでたし。


人を過度に信じないように
愛さないように期待しないように
かと言って角が立たないように
気取らぬように目立たぬように
(中略)
軽いジョークやリップサービスも忘れぬように
どんな時も笑って愛嬌振りまくように

https://www.youtube.com/watch?v=XCyKJD6uQyg
ビターチョコデコレーション/syudou

この歌詞をきくと、いつも心臓がきりきりして、息が詰まってくる。
大人になるにつれて、たくさんのことに制限をかけて、してはいけないことばかりに囚われてしまった。

このやり方だと概ね2,3年で限界が来て、人間関係をリセットしてしまう。
(幸いなことに、仕事は毎年のように人員入れ替えがある職種なので、なんとかなっている。)


私は、自分が嫌われたくないという超利己的な感情が根底にあって、人のために人に優しくしたわけじゃない。

じゃあ、全部自分のためだっていうんなら、それで苦しいのは本末転倒じゃないか?
少しでも心地よく感じてもらえたら、自分の気分がいい。
だから、人に優しくする。
それだけでいい。

そして、人に優しくするのと同様に、自分に優しくしてあげたい。
今まで散々、人のことを考えてきた。
でもじゃあ自分の心はどうなのか?
当たり前のように軽視したり、無視してはいないか?
人にするのと同じように、自分の話を聞いてあげてもいいんじゃないか?

私はどうやっても狭量だ。
すべてを許せるようにはならない。
許せない自分を許してあげたい。
まずは、どうしても許せないものを「許せない!」と、自覚することを許してあげたい。
最近は、ふっと湧いた怒りや傲慢な考えを抑圧せずに、メモに残すようにしている。

ずっと特別親しい友人がいないことを嘆いていたけれど、
まずは私自身が自分の「なんでも話せる友人」になってあげることにする。
どうせ、自分とは一生の付き合いになるんだから。

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