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子どものころの将来の夢をコンセプトにしてしまおう

子どもの夢なんて、大抵は荒唐無稽だったり、論理が破綻していたりする。
私が幼稚園児だったころの文集をみると、将来の夢は「ケーキ屋さん」だったらしい。
理由は、「ケーキたべたいからです。」
(ケーキ屋さんはケーキを食べる屋さんじゃないよ。)

もう少し物心がついてから、あれは小学生だったか中学生だったか。
また文集に書いた将来の夢は「作家さん」だった。
今考えると結構アバウトな書き方だけど、要は「小説家」ってことだったはず。
活字中毒で、目に入るすべての文字を読みたがった。
在りし日の天使のように可愛い弟が、一生懸命私に話しかけるのを生返事(丸無視)しながら、牛乳の成分表を真剣に読んでいる動画などが出てきて笑った。
文字を書くのも大好きで、趣味で無限に漢字練習をしていた。
普通の文字では飽き足らず、一時期は完璧に鏡文字を書けるようになっていた。(何故?)
だから、たくさんの文字に溺れられる小説家になりたかったらしい。
理屈はケーキ屋さんと大差ないけど。
そしてさらに思い返すと、友達と携帯小説を互いに書いて、メールで送りあっていた黒歴史も思い出した。
内容は覚えてないし、データも何もかももう消えているので、それだけが救い。
(あれを人質に取られたらきっと仲間の居場所を吐かないといけない。マジで怖い。)

で、なんでそんなことを思い出したかっていうと、二次創作の小説を書き始めたことが発端だった。
最近ハマっているジャンルで、二次創作の小説を読んでいて、大好きな文章を書く人に出会った。
その某サイトは月に一回くらい開けばいいほうだったのに、その人の更新がないか毎日見に行ってしまうくらい好きで。
その人の文章を読んでいたら、自分の妄想もどんどん膨らんで、気付いたらプロットを書き始めていた。
そして時折思いついた表現を肉付けしていったら、あれよあれよと1本書き上がってしまった。
プロットを組むのも、ロジックを精査するのも、伝わりやすい表現を模索するのも、ぜんぶ恐ろしいくらいに楽しい。
もちろん詰まることもあるんだけど、辞典やら文章の書き方の本やら、買い込んで読み漁ってそれを生かして。
それか、別の作業を進めているうちにつるっと解消していたりして。
締め切りも制約もないからこそ、だとは思うんだけど、どれもこれもひとつも苦じゃなくて。
私って文章書くの好きだったんだ…と思った。

正直、身の回りに文章の上手い方が多すぎる。
あたりを見渡せば、あきやさん(自問自答ファッション通信|あきや あさみ|note)を筆頭に自問自答ガールズたちはみな発信が上手で、もはやプロじゃん、というくらいの文章書きの方も居たりして。
そんな中で「文章を書くのが好きです」「コンセプトは小説家です」なんて口が裂けても言えないなーと思っていた。
でも、そういえばあきやさんだって書籍を出すことになったときに、「この世には山ほど本があるんだから、もう私が書けることはないのでは、とめげそうになった」(意訳)と言っていた。でも、自分自身のために書くべきだとも。
他に発信している人がいる、じゃなくて自分自身が発信すること自体が大事なんだって、何度だって忘れちゃうし、何度でも思い出すべきだな。

こういうことって、人には当たり前に言えるんだけど、自分に対しては適用できてなかったりする。
例えばもし友人が「みんな文章うまいから、コンセプトに小説家なんて掲げられないよ~」って言っていたら「何言ってんだ、いますぐ掲げろ」ってノーモーションで言えるのにね。
いちど他人事みたいに自分と対話してみるの、大事かもしれない。

ともかく私は、私の心が「文章を書くのが好き」って叫んでいるので、コンセプトを小説家にしようと思う。
なかでも官能小説家がいいな、って思っている。
三大欲求に文章でダイレクトに迫れるってすごくないですか。
あと、シンプルに性描写を書くのが楽しい。
性的な話はハラスメントや搾取と隣り合わせだから、直接聞ける機会はほぼないけど、性癖や性生活の話を聞くのは好きなので、カラッと猥談できたら楽しいのにな、と思ったりする。



書き上がった小説は地産地消モノにするつもりだったけど、もったいない気がして投稿した。(ジャンルがちょっとアレなので、アレしませんが…)
そしたら、いくらか反応があってうれしくなって、いろいろオープンに語ってしまった。
だいぶ恥ずかしいけど、わりと自分的にはターニングポイントだったので放流する。

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