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発信を怖がってしまうわたしへ

本音を隠して、いい子ちゃんで生きていたら、誰ともわかりあえなくて寂しくて、だめな自分を晒したnoteを書いた。

すごいな、そんなこと私にはできない、って言葉もちらついたけど、それも清々しい。
初めから自分を開示しておけば、いつか嫌い合う運命にある人間と、深く関わり合うことなく離れることができる。
それに、いつか仲良くなれる運命にある人も、私が先に開示していれば出会える可能性は高くなるんじゃないか?


私はキャパシティが非常に狭いので、Twitterでは受け取る情報を絞っている。
(存じ上げていてもフォロバは亀の歩み。リプライもできないことがあるし、精神的に負担を感じたらリムブロもしてしまう。)
そしてそれと同様に、誰かのノイズになるのは嫌だなあ、と気をつかって、最終的になにも喋れなくなるのがいつものパターンだ。

リアルのコミュニケーションでもそう。
当たり障りのない言葉ばかり並べて、聞き役に徹して、会話のサンドバッグのように扱われるようになる。
そのたびに何度LINEをブロックし、Twitterアカウントを捨てて、逃げてきたことか。


そうじゃなくて、好きなことや考えたことを綴って出してあげる。
自分に見せてあげる。
「嫌われない自分」への執着から離れるには、このあたりから崩していくのが手っ取り早い。

本当はわたし、すぐに怒る。
すぐに傷つく。
煽りにも毒にも弱い。
だから、どんどん自分を出して、刺してくるような人間からは離れる。
それでいいじゃないか。
正直めちゃくちゃ怖いけど。

なんで発信をするかって、楽しいと思える時間を増やすため。
自分をよく知り、発信を続けていれば、嫌いなものを遠ざけて、好きなものを引き寄せることが容易になる。
自分で、自分を楽しませてあげたいなら、少しずつ殻を破ろう。

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