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創作に溺れていく人間の手記

ここ一年で人生が良い方向に狂ったことの備忘録も兼ねて、推しおよび推し作家への愛と惚気を綴るだけ。
ボーイズラブや二次創作について言及するのでご注意ください。


大体、幼稚園児くらいの頃からオタクというものをやっている。
近所のレンタルビデオ店で特撮のビデオを借りてもらって、擦り切れるまで見続けた。
自分が生まれた頃の戦隊物が大好きで、ダイレンジャーとカクレンジャーは何週も観ていたと思う。
小学生くらいの頃には平成仮面ライダーが始まって、仮面ライダー王蛇に初恋を捧げた。
中学生になって、少年漫画というものを知って、NARUTOで我愛羅に恋に落ち、BLEACHで更木剣八とグリムジョーに狂い、テニプリ、銀魂、涼宮ハルヒ、と声優繋がりで島を転々とした。
その頃、ニコニコ動画が台頭していて、ボーカロイドを狂ったように聴き、ゲーム実況を観るようになった。
大学生の頃は部活と単位習得とバイトに必死すぎて、その熱は少しだけ落ち着いたけれど、社会人になると自由な時間とお金が得られて、好きになったコンテンツのライブに行くこともできるようになった。

なかでも私は中学生くらいのころから、ボーイズラブというものに傾倒している。
二次創作投稿サイトを毎日のように巡り、個人サイトを周遊し、年齢制限のある同人誌に歯噛みしながら、年齢制限のかかっていない商業BL漫画を友人から借り、BLCDを買い漁った。
社会人になり、学生の頃に比べてお金が無尽蔵に使えるようになってからは、わりと信じられない量の商業BLを買っている。
年齢制限コンテンツだっていくらでも買える自由が幸せだ。
とにかくたくさんのボーイズラブを享受し、食らってきた。


昨年の春、今まで動画を時々見かける程度だったコンテンツに、職場の後輩がハマっていると聞いて、試しにおすすめの動画をいくつか教えてもらって。
そのときちょうど投稿されていた動画に、心を射抜かれて、まんまと沼に足を滑らせた。
最初の数か月は色々な動画を見漁り、最終的に男性2人組のユニットを推すに至った。

そして、年季の入ったBL愛好家である自分のことなので、それはもう、そういうことになるわけです。
きっと関連した創作を多くの人がしているのだろうと見込んで、二次創作投稿サイトをざっと眺めてみたけれど、うまく見つけられない。
沼に落としてくれた後輩にきいて、この界隈は小説のほうが多く存在していることを教わりました。
個人サイトを巡っていた頃は小説も読んでいたけれど、最近はイラストばかりを見ていたので、随分と久しぶりに二次創作小説を眺めるようになりました。

それがまた、結構難儀で。
なんというか、自分が好きな彼らとはかけ離れたキャラクターとして描かれた創作が、そこにはたくさんありました。
所謂、解釈違いというやつです。
それでもどうしても供給は得たい。
作者に申し訳なく思いつつも、根気よくブラウザバックを繰り返しながら、小説の山をかきわけていくと、ひとつ、とんでもない作品を見つけました。

息をするのも忘れて、一気に読み切って、頭も身体もぐちゃぐちゃにされるような気持ちになって、呼吸が深くできなくなって、涙が湧いてくる。
読み終えて、しばらく茫然としました。
そして、そんなに圧倒的な文才でぶん殴られたというのに、「ああ、私も書ける。」と思いました。

ここまで書いてきたとおり、私はこういったコンテンツについて膨大なインプットをしてきましたが、アウトプットは一切していませんでした。
自分にはそんな能力はない(と信じていた)ので。
でもその人の小説を読んだ瞬間に、堰を切ったように思考の奔流がどばーっと溢れました。

自分は、彼らのどんなところが好きで、それをどのように表現したいのか。
彼らはどういう風に喋って、どういう風に動いて、どんなことを頭の中で考えているのか。
彼らを指し示すとき、普段呼び合っている渾名だけじゃなくて、恋人、だとか、あえてフルネームにしてみたり、大学生、のように属性で呼ぶことで伝えたいことをより端的に表すことだってできる。
場面の進行、心理描写の仕方、動詞の使い方、視点の使い分け、そういったものが、書いてみたいストーリーと一緒にズドン、と降りてきて。

そうして、衝動のままにメモアプリに小説を書き溜めるようになりました。
思いついた場面を思いついたときに書いていたら、たぶん一ヶ月もかからないくらいで10作品くらいは骨子ができていて、そのうちの一つが唐突に完成しました。

完全に、自分のために書いた小説でした。
誰に評価されようが、されまいが、どうだっていい。
自分の大好物を詰め込んだ、自分のためのお弁当のようなものでした。
でも、ふと、あの人の作品のように、私のような誰かを満たすことがあるかもしれないという考えが頭を過ぎりました。

試しに投稿してみた小説は、思っていたより人に読まれているようでした。
閲覧数やブックマーク数のカウンターがまわるのを興味深く眺めました。
読む人がいるのなら、と仕上がった作品は投稿することにしました。
数字が増えるのを楽しむ中で、感想をもらうようになりました。
とても嬉しくて、ああ、私の作品を好いてくれる人間が存在しているんだ、と数字の後ろに人間が居ることを感じました。

書く人間って、どんなに些細な褒め言葉でも嬉しいものなんだな、とわかって、あの大好きな作家さんにもこまめに感想を送るようになりました。
その人は匿名の感想フォームを設置していて、新作が出るたびに長文の感想を投げ込み続けていました。

ある日投稿されたその人の小説は、とても疾走感があって、登場人物に心底感情移入しました。
読み終わって、いつものように感想を書いて送ってからも、気持ちが溢れてしまって、過呼吸になりそうなまま、胸がいっぱいになって苦しくなって。
どうかどうかどうか少しでも長くあなたの作品を読んでいたい、と伝えたくて仕方なくなりました。
加えて、私の作品も、愛してくれている人がいて、それも含めてまるごと全部、あなたがいなかったらなかったんだよ、と伝えたくなって、匿名ではないメッセージ機能で突撃してしまいました。

謝罪を繰り返しながら、好きだとか、一秒でも長く創作をしてほしいだとか、いつも感想送ってますだとか(匿名だからどれが私かもわからないのにね)。
支離滅裂に気持ち悪いくらいの感情をぶつけて、返ってきたのは、丁寧なお礼と、「阿笠さんの作品も読んでますよ。私の作品がきっかけになったなんて光栄です。」なんて、身に余るような言葉でした。
もう、嬉しくてうれしくて、誇張じゃなく、生きててよかったって思った。
(その直後にピンクの耳飾りばかりを買い漁った。愛で溺れるかと思って。)


しばらく、その幸せにちゃぷちゃぷと浸っていると、またあの人の作品が上がっていて、いつものように感想を投げ込みました。
一度送っただけでは飽き足らず、この先の展開はどうなるんだろう、と考えているうちに、その作品の続きを書き始めていました。
基本的に、書きたいと思ったときに書きたいと思ったものを書くようにしているので、自分の作品はさておいて、その日のうちにさくっと仕上げてしまいました。

さあ。これ、どうしようか。
三次創作って正直、扱いが難しい。
自分だって、どんな人が書いたものでもどんな解釈であっても喜べるか?と聞かれると、ちょっとわからない。
でもラブレターのつもりでもあるこの作品を、ただ屠ってしまうのもちょっとさみしい。

悩んだ挙句、また匿名ではないメッセージで連絡をした。
三次創作をしてしまった旨と、送っても問題ないかどうか。(相手の創作のノイズには絶対になりたくないという気持ちが強かった。)
すぐに、嬉しいですよ、送ってくださいと返事があって、意を決して送った。
少し時間を置いて、時間をとって読みたかった、遅くなってすみませんと前置きがあって、感想をいただいた。

その人らしい思慮深く優しい言葉で、丁寧に感謝を伝えてくださって、少なくとも嫌がられてはいないとわかって胸をなで下ろしていると、末尾に普段私が投稿している作品の感想も添えてあった。
阿笠さんの作品、本当に全部読んでます。たとえばこの前投稿されていた作品が大好きで、何回も読んでますよ、と。

え、死んだ?
死ぬ間際の夢見てる?

嬉しくてたまらなくて長文で送った返事にも、また返答があって。
そりゃ前に「読んでますよ」と言われた言葉だって疑ってはいなかったけど、なかったつもりだけど。
リップサービスじゃないんだ。ってわかるような感想すら添えてあった。

ぜんぶ自分のために生み出した作品だった。
どこかの誰かに喜んでもらえたら、という祈りだけで公開していた。
それは間違いなかったし、これからだってそう。
それでも、私に小説を書くきっかけを与えてくれたその人に対して、私の拙い言葉でも恩返しができているんだと実感して、なんだか感動してしまう。

また息ができない。
どうしよう。どうしたらいいですか?
創作をする人たちはこんな喜びを得て生きてきたんですか?
このきらきらした気持ちを抱えたまま、これからも物を書く人生を送っていきたい。

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