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あなたへの5つの質問  青ブラ文学部

 Q.2
どんなに言葉を尽くしても、結論が出ないであろう哲学的なテーマについて語り合うことは時間の無駄だと思いますか?それとも有意義だと思いますか?

本文  1782字

橋の欄干に両手をついて遠い水面を見つめている女性に声をかけた。
「魚、いますか?」
彼女は青ざめた顔でこちらを振り向いたが、また川の方に向き直った。私も隣に並んで川面を見つめた。魚の影など見えようはずがないほどの高さに足がすくんだ。
「魚、見えませんね」私の声は震えていたのだろう。彼女はこちらを向いて、引き攣った顔を見せた。
「どうです?一緒に歩きませんか」
「ほっといてください」
「そう言わずに、付き合ってください。一人で歩くのに飽きたんです」
彼女は思いは遂げられないと判断したのか、橋を歩き始めた。
「あなたのような人をなんて言うかご存知?」
「おせっかい。違いますか?」
「わかってるのね。どうして止めたの?」
「止めた訳じゃありません。もし止めたところで、あなたに付き纏うわけにはいきません。あなたはいつでも自由に行動できるんですから」
「ああ言うのはね、タイミングっていうのがあるの」
「そう思っているうちは、思いは果たせないんじゃないかなぁ」
「そうかもしれないわね。あなた、何者?」
「ただの近所のオヤジです。特にお節介じじいではないですよ」
「じゃどうして?」
「つまらないことを、してほしくないなって思ったんです。それだけです」
「つまらないこと?あなたに私の何がわかるの?」
「わかることはたくさんあります。この世から逃げだそうとしていること。それだけの何かがあったのだろうということ。あなたに信仰はないかもしれませんが、どんな宗教でも、だいたい死後の世界を説いています。そこに平行移動するだけでしょ?」
「あなたがよく喋るオヤジだってことはわかった。死んだら終わり。すべてジ・エンド」
「そうでしょうか。死の淵から生還した話はよくありますよ。彼らは死後の世界を証言しています」
「脳は死んでないからね。夢とどう違うの?」
「違いませんね。でも私はあると思うな」
「それは自由でしょ。そう思いたければ、そう思うのは」

長い橋の上には私たち以外誰もいない。前方のくっきりとした低い山の稜線が美しい。
「実は私も臨死体験がありましてね。幼い頃のことですが、交通事故で心肺停止したんです」
「その時あっさり亡くなっていれば、私も綺麗さっぱりってとこだったのにね」
「言ってくれますね。私その時、私の叔父が若ハゲで薄くなった頭に大きな黒子があるのを見ているんです」
「以前にどこかで見たことがあるんじゃないの?それか話に聞いたとか」
「そんな話、子どもにしますか?」
「それじゃ見たことがあるんだ」
「その叔父は母方の叔父でしてね。私はまだ一才になる前に一度会ったことがあるだけなんだそうです。それにその頃はまだハゲていなかった」
「それは不思議ね。でもちゃんと検証しないとどんな抜け道があるかわからないでしょ?」

青い空に絵に描いた雲がしらじらしく浮かんでいる。
「あの世があるのがどうしてそんなに嫌なんです?」
「みんなあると思いたいだけよ」
「あるといいと思いますけどね」
「そんなのはその人の自由よ。私は別にあってもいいわよ」
「永遠の命というのも結構大変たと思いますよ」
「あれ?風向きが変わったわね」
「申し遅れましたが、私は死んだら滅びたい派です。でも先ほどお話した体験が私を苛むわけです」
「そんな夢を見ただけだと思えばいいじゃない」
「そうもいかないんです。証人がたくさんいるんです」
「じゃ自分を信じなさいよ。私は誰かから聞いたんだと思うな、ハゲのこと。寝てる間にとか」
「そういうことにしてもいいですけど、あの世がない証明にはならない」
「そうね。死んでみなきゃわからない。ずっと果てしなく続く魂があるとすれば、それこそ地獄ね」
「楽園でのんびり過ごせてもですか?」
「誰かと同じ人を好きにならないって保証はあるの?」
「ありませんね。人のことを好きにならないのだとしたら?」
「そんな世界に住みたいの?」
「私たち基準からすれば、そうかましれませんが、価値観が違うのかもしれませんよ」
「そんな価値観が蔓延ってるところを楽園と呼ぶなんて、どうかしてるわ」
「この世と同じじゃ意味がないでしょう」
「訳もなく死ななくて済む世界なら、それだけで意味はあるでしょう」
「え?風向きが変わりましたね」

橋を渡りきって、私は振り返った。風の吹かない橋なんて初めてだ。
「私たち、生きているんでしょうか」
彼女はちょっと目をみはって、そして首を僅かに傾げた。
          了


山根さん
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