見出し画像

死神ですが、なにか?第二話 #創作大賞2024 #漫画原作部門



    第二話 あの日に帰りたくない

梓は療養施設に父を訪ねた。母が亡くなった理由を自ら確かめるために。
バスを乗り継いで鄙びた村の終点へ。そこからさらに歩いてたどり着いた山裾に建つ療養所は緑の木立の中にあった。
水彩で描かれたような建物の前庭に数台の車が頭を綺麗にそろえてとまっている。フラットな石畳の玄関を入ると、そこにも穏やかな日の光が届いていた。
「こんにちは。成瀬義正の娘の梓です」
「ようこそいらっしゃいました」
受付の女性はやわらかい笑顔を向けた。
 
病室に案内する看護師は手でさまざまな表情をつくり、中庭に散歩に出ることを勧めてくれた。
32号室のドアを開けると、父も微笑んでいた。
59才、定年まであと一年を残して父親は心臓病に倒れた。病院での治療を終えても父はひとりでは何もできないほど弱り切っていた。それ以来ここに入所している。
「元気そうだな」
「うん、お蔭様で。外に出る?」
父を車椅子に移乗してふたりは中庭に出た。ピンクのツツジが遊歩道に沿って絵を描いている。奥の四阿には淡い紫の藤が下がっている。
「どうしたんだ?顔を見せてくれるなんて」
「うん、ごめん。これまで忙しかったけど仕事辞めたから」
「辞めたのか?いい会社だって言ってたのに」
「いろいろあってね。竜弥は来る?」
「あの子は毎月一回は来るよ」
「へーそうなんだ。あいつ見かけによらず親孝行」
父はうれしそうにふふふと笑った。
「何か話があったんだろ?」
「うん。お母さんのこと。つい二週間ほど前に死神に会ったのよ」
「え?会ったのか」
「会った。いいヤツだったよ」
「でも所詮死神だ」
「お母さんが亡くなった時のこと、教えて。死神が自分で訊けって言うもんだから」
父の視線があたりをさまよった。
「これは竜弥には内緒だ。いいな」
「うん。そんなこと話さないよ。だいたいあまり話さないもん」
「お母さんが亡くなってから一ヶ月ほど経った頃のことだ・・・」
やわらかな風に揺れていた四阿の藤の房がピタリとその動きを止めた。
 
 
市民プールの自転車置き場の横に少年は立っていた。ちらほらと自転車はあるものの、周りに人影はない。
突然の風に数台の自転車がなぎ倒され、少年は狼狽えた。つむじ風があたりに散らばるゴミや埃を吸い寄せ、黒い影を作った。
その中から不意に現れたモノを何と呼べばいいだろう。
人ではない、と少年は思った。
「誰?」
「いやあ、そこにいたのか。俺は風の精さ。みんなに教えてやってくれ」
「ああ、言われなくても言うよ」
「気をつけろ。おかしなヤツだと思われないようにな」
古そうな黒い服に黒い帽子を被った男は歩きながら手をひらひらさせて遠ざかっていった。
朝焼けに頬を照らされた少年は、呆気に取られてその背中を見送った。
 
しけた顔の男がひとり静かにお茶を楽しんでいる。今はオイルステンの無垢材の床が鳴る音もない。
朝の店内は異国の言葉が飛び交い、どこかの奥様の小鳥の囀りも聞こえていた。それも今はなく、自分の吸う息の音が聞こえるのみ。
たまにカトラリーの触れ合う音、外を走る車の音がする。それからサイフォンのささやく声。そしてコーヒーの香り。
 
そんな静けさを破るように革靴の踵の音が店内に響いた。
その男はしけた顔の男の席まで来ると、「いいですか?」と訊いた。
しけた男は周りの席は全部空いてるぞと言わんばかりに、周囲を見やった。
「ああ、構わないけど、私に何かご用ですか?」
男はニヤリと口を歪めて頷いた。
 
「このハット、申し訳ないが取らずにおきますよ」
男は黒いハットの縁を軽く引っ張った。
「ああ、構いませんよ」
「あなたは悲しみに沈んでらっしゃいますな。見ていて痛々しい」
「そんなことはほっといてほしいんだが」
男はまた顔を歪めた。
「悲しみに浸りたいなら、それでも構わないが、抜け出したいなら話を聞いて差し上げますよ」
「どちらかというとほっといてほしい」
「ほっといてほしい人はこんなところに出かけてはこない。違いますか?」
確かにこの男が言う通りだ。しかし、しけた男はまだ人に話せるような段階ではない気がした。

「あなたは最近、近しい方を亡くされましたね」
「ああ、妻を亡くした」
「奥様を。それは・・・お悔やみ申し上げます。失礼ですが、奥様はどんなご病気で?」
 
「解離性心身障害」二人の声がぴったり重なった。
 
「なんだあなたは病院関係者なのか?」
男はその表情が顔に張り付いているかのように、怪しい笑顔を崩さない。
「病院のカウンセラーだな」
「まぁそんなところです。奥様、お亡くなりになるとき、何かおっしゃっていませんでしたか」
ベッドに横たわり、天井を見つめる妻の顔が浮かんだ。
「それは言ってたよ。いろいろ」
「あなたが不思議に感じたことは?」
「ああ、病気になってからの妻はおかしかった。しあわせそうだった。最後には体重が落ちて目は落ち窪み、頬はこけ、髪は真っ白になったのに」
「しあわせだと口に出して?」
「言ってたよ。とてもそんな感じじゃなかったのに。君はよく知ってるんだろ?カウンセラーなら」
男はニヤけた顔のままだ。
 
しけた男に忘れられない、しかし忘れてしまいたくもある在りし日の妻が蘇った。
妻はそれでも美しかった。そんな枯れた妻を美しいと思った。その口が紡ぐ言葉は美しさに溢れていた。
「あなた、後のことは任せていいかしら。あなたには申し訳ないけど、お任せしなきゃならないの」
その真意がわからなかった。でも妻の言葉を受け入れなければならないと思った。
 
「ところでご子息はお元気で?」
「ああ、元気だよ。とても」
「それはよかった。以前、竜弥さんにもお会いしたことがありましてね。あ、成瀬さん、奥様の死因は何でしたっけ?」
「し、心不全です」
「心不全。違和感はなかったですか?」
「違和感だらけですよ。妻はどんな病気だったのか。なぜ亡くなったのか、全く理解できない。それが私のこのモヤモヤの原因だよ」
「あなたの奥様は病気ではなかったと言ったら驚きますか?」
しけた男は悪い冗談に顔が引き攣るのがわかった。
「そんなことはあり得ない。あんなに疲弊してボロボロになって」
「でもしあわせそうだった」
「そう。しあわせそうだった。それに嘘偽りはない」
「意味がわかりませんね」
「妻はどんな病気だったのか、私も考えた。きっと脳か精神をやられていたんだろう」
「奥様が入院なさる前に私、奥様とお話しましてね」
「何があったかご存知なら教えてほしい」
「もちろんです」
「何があったんだ」
「奥様はご病気じゃない。そうお知らせしたんです」
「なんだって!で、妻はなんと」
「驚いてらっしゃいましたよ、もちろん。そしてある条件を提示しました。すると奥様は病気のまま死ぬことを選ばれた」
「お、おまえ。からかってんのか」
席から立ち上がって吠えた。
「まぁ落ち着いて。奥様はしあわせに亡くなられたんでしょ?」
「ああ、妻に何をした!」
「だから、私は知らせただけですよ」
「病気じゃないって言ったんだろ」

「病気だったのはご子息です。竜弥さん。もう助からなかった」
「なんだって」
「奥様が竜弥さんの代わりに亡くなられたんです」
「まさか・・・そんなことがあるはずないじゃないか」
「ご子息を検査すると既往症がみつかります。心配はいりませんが」
「どうして妻が」
「ご子息が前のご病気の時、奥様が願われたんです。『私を身代わりにしてほしい』と」
「前の病気って・・・」
しけた男は息子が小学生の時のことを思い出した。
あの日、あの時、まだ4年生になったばかりだった。 息子が学校からぐったりして帰ってきた。突然の発熱。朝、「行って来まーす」と出かけた声がまだ耳に残っていた。

少年は桜が散るのを病室の窓から見ていた。しかしその映像は脳には届いていなかった。少年は寝返りを打つどころか、首を傾ける体力さえなかった。
 「マイコプラズマ肺炎でしたね。熱が下がらず、ずいぶんご心配だったでしょう。脳症になるかもしれなかった」
「ああ、あの時はね」
しけた男は今では懐かしいあの悪夢を反芻した。元気だった妻とともに眉間に皺を寄せたことすらしあわせに思えた。

「その時の奥様の願いをこの度、叶えてさしあげたのです」
「あんたはいったい誰なんだ」
「死神ですが・・・」
男が帽子を少し上げると、頭のてっぺんにひしゃげた角がオイルステンの床のように光っていた。
「綺麗に見えるようにしっかり磨いて来たんですが」
「本当なんだな。どうして妻はそんな大事なことを私に黙ったまま・・・」
「おわかりでしょ?誰がそんな話、信じますか?血迷ったとしか思わないでしょう。先ほどのあなたみたいに」
「ああ、そうかもしれない」
「それがわかるくらい奥様はしっかりしてらっしゃったということです」
しけた男は身体を左右に揺らしながら、眉間に皺を寄せたり口をすぼめたりした。

「それを今さらどうして私に」
「奥様のたってのご希望です。約束通り、ちゃんと暮らしてほしいと」
「ああ」
男は帽子をかぶり直すと、その縁を舐めるように指を滑らせた。すると男は点描の絵のように細かい粒子となって崩れ去った。
 
ドロンとした溶けるような空気が消え去ると、それまで聴こえなかった外を走る車の音がして、カップがソーサーに触れる乾いた音がした。そしてサイフォンのコポコポという呟きがまた聞こえ始めた。
 
 
梓は帰りのバスの中で考えていた。竜弥は母に愛されていた。それは確か。ところで、死神はいったい私たち家族に何がしたいのだろう。
     第二話 終わり

*解離性心身障害は架空の病名です

第三話


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?