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死神ですが、なにか?第三話 #創作大賞2024 #漫画原作部門



    第三話 トイレはにおう

梓が転職サイトで見つけた仕事は港湾地区にある運送会社。これにしか目が止まらなかった。
前の会社の鼻がちょっと上を向いたような空気に嫌気がさしていたこともあって、ちょっとやさぐれたようなイメージに心惹かれた。
給与はまぁそこそこ。生活には困らなそうだった。通勤も地下鉄で乗り換えなしで行けるのもポイントが高かった。
面接は2ヶ月後。3ヶ月後から、試用期間3ヶ月だという。それまでは雇用保険が支給される。

辞めた会社の林課長から梓の口座に300万円が振り込まれていた。社会的地位の代償としては決して多いとは言えないが、課長の個人的な誠意とすれば妥協しなければならない金額に思える。だいたい相場なんてわからないから判断のしようがない。
会社からももちろん規定の退職金はいただいている。
梓は自分では特にお金への執着が強い方ではないと思っている。自分がしっかり生活していけて、父の療養費が賄えればそれで十分だった。
父に会ったり、なんやかやと雑事(これには面接も含まれる)に追われている間にいつの間にか三ヶ月が経っていた。

新しい会社は海の匂いがした。オフィス街のようにビルが隙間なく並んでいるようなことはなく、隣の建物まで何メートルも間がある。退勤時間が近くなると風が凪いで、建物がオレンジ色や赤に染まることがある。梓はその中に身を置くのが好きだった。
この物流会社は港湾地区では比較的大きなところらしく、午前中はトラックがバックするときに上げる警戒音がひっきりなしに事務所に聞こえてきた。
支給された制服は前社のものと変わらないタイトな紺色で違和感もない。首元にリボンがないことに得も言われぬ開放感があった。

「おはよ」
「おはようございます」
「今日も綺麗だね」
「あら、そんなこと言うとセクハラになるんですよ」
「そうなの?本当のことでも」
「そうなんです。ここには男性しか出入りがありませんけど、女性がそれを聞いていたら、その方に失礼でしょ?」
「なるほど、そういうもんか」
「いや、決して私がそうだってことじゃないですけど」
一週間もすると馴染みの運転手もできた。タケさんこと竹中祐一はトラック歴30年になるベテラン。梓が出社する8時半には既に会社に来ていて、9時には出発する。
配送先はそれほど遠方ではない。一日で回れる範囲に限られていたが、退勤時間に会うことはなかった。
なんでも奥さんを病気で亡くし、今は高校生になるお嬢さんと二人暮らし。毎朝お弁当を自分の分と二人分作っているらしい。

梓はそんな配送スケジュールの管理を任されていた。ドライバーの名前と行き先、積荷と重量、そして出発時間。それだけ入力すればいいというなんとも気の抜けた仕事だった。
そんなこんなで瞬く間に2ヶ月が過ぎた。

その日のタケさんは疲れた顔をしていた。
「タケさん、どうかなさったんですか?」
「おかしいか?」
「うーん、顔色がちょっと・・・」
「そうか、やっぱり。今日は休んだ方かよかったかな」
「そう思います」
そんなやり取りをしたが、タケさんはいつも通りトラックに乗って行った。

昨日の記録を見ると、ハードスケジュールだったのは一目瞭然。先方に届ける順番を考えると、きっと日を跨いでいると思われた。
「係長、タケさんのスケジュールご存知ですか?」
「どんなんだ?」
係長はさも興味なさげに顎を掻いた。
「そうだね、ハードだが、許される範囲だよ」
「でも4時間ごとの休憩は難しいんじゃないですか?タケさん、9時からの勤務ですけど、これぶっ通しでやっても昨日のうちに終わってるとは思えません」
「いいんだよ。こっちは把握していないから」
「そんなものなんですか?ドライブレコーダーが・・・」
「いいの、いいの。そんなものだよ」

しかし、ことはそれでは終わらなかった。
お昼過ぎにタケさんのトラックが事故を起こしたという連絡が入ってきた。高速道路で中央分離帯に接触して、反対の側道に振られ、そこで横倒しになったらしい。
救急隊がすぐに到着して、応急処置を施し、病院に搬送された。情報はそこまでしか入ってこなかった。
病院がどこなのか、安否はどうなのかの情報はない。警察に電話をしても、それは教えてはもらえなかった。

翌日になってようやく無事だったことがわかって梓はほっと胸を撫でた。たぶんお嬢さんが駆けつけているのだろう。お嬢さんにとっては唯一の家族、どれだけ心配だろう、どれだけ心細いだろうと、梓は自分の父と母のときのことを思い返した。

休日を挟んだ月曜日、会社はタケさんに対して、トラックの修理代と積荷の賠償金として500万円ほどを請求したと聞いて梓は血が騒いだ。
「係長、これ本当なんですか?」
「本当だよ。うちの労働契約はそうなってるんだよ。その代わり給与もいい」
なんともやり切れない思いがした。あんなハードワークに耐えて、その末に起きた事故。それをすべてドライバーの責任にするなんて。過剰な仕事を振ったのは会社なのに。

翌日、出勤してパソコンを見ると、なんとなく違和感を感じた。誰かが触っているようだった。
思い当たることはひとつしかない。案の定、タケさんの勤務記録が書き換えられていた。おそらくドライブレコーダーも弄られている。
「どうしよう」そんな思いが梓の胸の中を駆け巡る。係長に言うべきか。でもきっとこの改竄は係長の指示。言ったところでどうにもならない。見たところ、以前の記録と置き換えられている。こんなこと、内部の仕業でしかあり得ない。
梓はいちおう表向きは知らんぷりを決め込んだ。

そのまま終業時間を迎え、梓はトイレに行って鏡を見た。
「梓、それでいいの?そんなんでいいの?」
前の会社での杜撰な会計処理、それを見て見ぬふりをした。そしてそれが引き起こした顛末を梓は自分の顔になぞった。
「ねぇ、死神さん、私どうしたらいいの?」鏡に向かって呟いた。

いきなりトイレの電気が消え、風が起こった。トイレのドアがバタバタ音を立て、掃除用具入れから飛び出した青いバケツや箒が意志を持ったかのようにガラガラと踊った。風はつむじを巻き、梓は思わず蹲った。
荒れ狂う風の中にみるみる黒い影が現れた。
「呼びましたか?」

ニヤけた顔の死神の服装は相変わらずだらしない。
「その服、どうにかなんないの?なんか今日は臭うんだけど」
「仕方ないでしょう。トイレなんだから」
「ここはトイレだけど、あなたは違うでしょ?」
「同じですよ。私はここの材料でできていますから」
「ここの材料?」
「そう。私はここにあるものでできているんです」
「えー!だから臭うんだ」
「それって私のせいですか?あなたがここで呼ぶから」
「仕方ない。いいよ、それで。タケさんのこと、知ってるでしょ」
「はい。存じてます。事故、大変な事故でした。トラックというのはうねるんですね。飴のようでした」
「見てたの?」
「そうじゃなくて、見ようと思えば見えるんです」
「その事故、なかったことにしてよ」
「私にそんなことができると思います?」
「できるんじゃない?神なんだし。末席に鎮座する神様なんでしょ?お願い」
梓は固く目を閉じて、両手を合わせた。
「無茶を言わないでください。そんな力は私にはありません。私のこと、魔法使いとでも思ってるんじゃありませんか?」
「意外と役立たずね」
「お言葉ですね。こんな時だけ神様扱いもやめてもらえますか?」

「ねぇ、トイレの神様、記録の改竄したの誰だかわかる?」
「係長ですよ。ご本人。責任問題だって言いながら、焦ってらっしゃいました」
「あなたがいたら殺人事件はすべて解決ね」
「当たり前です。『隠れているもので表に出ないものはない』ってどこかの神様の言葉、聞いたことないですか?でも今回の願いは」
死神は胸の前で✕を作って見せた。
「今回は何もしない方がいいと思います。何も触らない。何も言わない」
「もういい。ああ、呼んで損した。あ、こんなことしてたら帰りが遅くなっちゃう」
「なんだ、そんなことも知らなかったんですか?私がここにいる間、時計は止まっています。あの屋上にいる時、おかしいと思いませんでした?」
「ああ、確かに。変だとは思った。目が覚めた時、お昼休みが30分近く残っていたし」
「そう。時計は止まっています。雲も止まってたでしょ?」
「時間を操れるんだ」
「操ることなんてできません。ただ勝手に止まるだけです」
「今回はもう帰っていいよ。役に立たないんだから」
「おほん。トイレの神はトイレに還ります。お邪魔をば」
そう言うと、死神は帽子の縁を舐めるように指を滑らせた。死神は千切り絵のピースのように小さくなって散ってしまった。

梓が目を開けると、トイレの便座に座っていた。ドアは開けっぱなしで。
「あいつ。いらんことして。ここ男女共用なんだから」

もう事務所には誰もいなかった。デスクの上に「明日、陸運局の査察」と書かれた紙が置かれていた。誰が置いたのかわからない。そのままさっさと帰り支度を整えた。
外はいつになく真っ赤に燃えていた。真っ赤なところと影の黒が鮮やかに世界をふたつに分けていた。
査察、もしかすると査察ですべてが明るみになるかもしれない。改竄があったかどうかなんてプロが見ればわかるはず。そう思って家路に就いた。

翌日出勤すると、タケさんがいた。
「おはよ」
「あ、タケさん、もう大丈夫なんですか?」
「何が?どうかした?それより係長、大変だったね。俺が休んじまったばっかりにとんだ事故に遭っちまって」
「え!事故・・・ああ、事故。そ、そうなのよ」
すべては因果。因果応報。死神がそう言っている声が聞こえた気がした。

タケさんが出て行ったらすぐに陸運局の査察が入った。係長の勤務記録が入念に調べられた。
      第三話 終わり


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