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2020年「楽しめよ」

待っていたよ、2020年東京オリンピック。
さあ最高にHappyな大海賊時代の幕開けだ!



とは、ならなかった。



ウイルスくんWelcome to JAPAN.が現実だ。
そんなわけで地球から21世紀最大の挑戦状が来た。

日常が激変。在宅の呼吸 壱ノ型 引きこもりを使っているため、なんとかやり過ごしている。

この機会に社会人になってからの4年間を振り返ってみた。するとこの逆境を乗り越えられるヒントが過去にあった。

忘れないうちにnoteとやらに記載する。4年前のアフロシンよ。君は何をしていたかな・・・



4年前と言えば、新卒1年目。今と変わらないくらいの逆境で(覚えることが多くて)相変わらずもがいていた。なぜなら、僕はオリンピック選手のマネージャーをしていたからだ。

彼(オリンピック選手)とは大学時代からの友人だ。出会いについてはいつか話すとしよう。

2016年地元を出て初めて東京に来た。右も左もわからなかった。
Suicaの存在すら知らず、改札機にSuicaを入れてしまい後ろに行列をつくるほど無知な男だった。仕事の同期はいない。東京での友人はただ一人(オリンピック選手)。

今思ってもバカげていると思う。
なぜ彼に人生を賭けたのか。
もじゃもじゃな頭で考えてもわからない。
だが、そのおかげで僕は逆境に落ち着いて向き合える。

オリンピック選手のマネージャー。
「そもそもマネージャーってどんな仕事?」ってよく聞かれた。

――――――――――――――――
【主な仕事】
・スポンサーとの打ち合わせ
・スケジュール管理
・メディアの取材対応
・運転手等
――――――――――――――――

僕は一緒にいる選手が恥ずかしくないようにするので精一杯であった。



そしてあの日がやってきた。



2016年8月5日。スポーツの祭典オリンピックだ。
当然のことながら僕はスポーツは大好きだ。

僕は学生時代からソフトテニスというスポーツをしていた。当時ソフトテニスはプロ選手がいなかったためメディアへの露出は少なく、オリンピックのように毎日放映されて脚光浴びる選手たちの姿に憧れた。

大会期間中は日本にいた。※オリンピックに行かんのかい!と思うだろうがメディア対応のため日本にいた。(行きたかった)マネージャーとして彼とはこまめに連絡を取っていた。動画で練習風景や会場の写真が送られてくることは小さな楽しみであった。




僕の思う最高のマネージャーは、選手を自然体でいられるようにすることだ。大した仕事ができたとは今も思わないが、自分なりに考えた答えだ。
そのため普段からプライベートでも彼とは一緒にご飯を食べたり、旅行したり、ケンカもすることはあった。大会期間中は特別変わったことはしない。ただ1つ自分の中でルールを決めていた。


――「がんばれ」と言わないこと。


これは簡単なようで難しかった。
努力しているのもわかっている。
周りから期待されているのもわかっている。
自分が選手でも「がんばれ」と言われたらうれしいだろう。
だからこそ僕は言わなかった。


――「逃げ道」をつくってあげたかった。


それが彼が普通でいられるであろうと思ったからだ。
だって人間だもん。※どっかで聞いたセリフ
では、何も言わなかったのか?そうではない。


――僕からの言葉は「楽しめよ」


そのおかげではなかっただろうが、彼は銀メダルを獲得した。
彼が帰国して空港でメダルをかけてくれた。


――「おもてえ」


メダルの重さなのか?
それとも日本を背負ってきた重さなのか?
いったい何の重さなのか?
そのとき感じた「重さ」ははっきり身体に焼き付いている。
今思い返しても無責任に「がんばれ」と言わなくてよかった。
「楽しめよ」で良かった。
そんな、2016年人生22年目の夏だった。



4年前思っていた2020年ではない。
自由に身動きが取れない時代だ。
もちろん誰のせいでもない。

ただ誰もが頑張っている。
特に医療関係者は命を懸けて、昼夜問わず人を救っている。

――「ありがとうございます。」

そんな命を懸けて頑張っている仲間に感謝しつつ、
ウイルスがこれ以上広まらないように自宅でも楽しもう。


逆境を乗り越えるコツは「楽しむ」ことだ。
辛くて逃げたいときもある。
そんな自分に逃げ道をつくっている。
自分で理解した逃げ道だと、不思議となかなか逃げない。
逃げないならせめて「楽しもう」


2020年も逆境だ。
いつだって逆境だ。
みんなも自宅で「楽しめよ」

byアフロシン

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