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夕暮れ時の海に行こう

あんまりオチもメッセージもないんだけど、夕暮れ時の海が大好き、という話をします。センチメンタルトレインにガタンゴトン乗ってんじゃねーよ、と思われるでしょう。そうです、急行列車に乗ってます。だって5月末なんだもん

好きな理由その1からお伝えするといたしましょう。夕暮れ時の海って10分ごとに色が変化するでしょう。海が太陽の反射で寒天少なめの牛乳プリンみたいに見えたと思ったら、急にきらきら光るオレンジジュースに変化して、わぁって喜んでるうちにいきなり 深い夜が近づいてくるぞ っていう警告みたいな紺色になったりする。それに加えてたまんない所が、視界を左右にちょっと振るだけでその顔色が変わるじゃんね。西の方向をみるとキラキラしてて暖かな海。90°のドライサウナに12分居続けて全身の毛細血管も毛穴も収縮させろと叫んでいたとしても入るべきではない冷たさの海だと理解してたとしても、あのトロりとした色味と 温かさを彷彿させるような匂いに騙されそうになって「嗚呼あの海に体を浮かべたいわ」なんてエロい純文学的な発想を柄でもないくせに持ってみたりする。そんなフワフワした妄想で口元が緩んでるとき、ふと反対側に目を向けると暗い色が押し寄せてきてるのに気が付く。うおって思って気がつかなかったフリをして、また暖かそうな反対側に戻るために眼球を高速で戻す。改めて「きれーい」って友達に、否自分に言い聞かせるように言ってみたりする。でも後ろからきてる闇の存在はは視界の端っこでしっかり把握してるから、ちょっと怖くて最後まで暗くなる前に帰っちゃったりする。その高速な変化に 変な希望を重ね合わせてみたり、その闇の恐怖に 自分のヒトらしさみたいなところを感じたりするとこ。まず好きなとこそのイチ

その2:あと海を見てると、なんもしなくてもいいじゃんねって思ったりするじゃあないですか。仏教徒みたいなこと言いますけど、生きてるって自分に鞭を打ち続ける苦行だなと思いませんか?思わないか。少なくとも私は、自分が生み出しているのは一酸化炭素以外あるんだろうか。私が飽きもせず撒き散らしている一酸化炭素が宇宙にもたらす害を補填するだけの何かを自分は作り出しているんだろうか。ていうかそもそも・・宇宙といえb(永遠に続く)といった具合に、頭のなかのタイプライターが地獄一直線の改行でエンターキーをバシバシ叩いてしまうときがよくあります。しかし夕暮れ時の海を目の前にすると、さっきまでタカラジェンヌのように悲劇を歌い踊り狂ってた思考さんと自分さんが舞台から引きづり下されて、感覚さんと海さんが新たな主役になってくれる。だからこっちは安心してボーってそいつらに身を委ねることができる。そのうちに魚がチャポンって跳ねたりして「いまの!みたの!わたしだけでしょ!」って "奇跡” を見ただけで自分を誇ったりしちゃったりなんかする。その程度のことで、ずっと認められてなかった自分を褒めてあげられるのが夕暮れ時の海の魅力なんだと思います。

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はい。というわけで以上、センチメンタルジャーニーをお届けしましました。また次回、お会いしましょう

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