誰が主人公か問題
『うちの師匠はしっぽがない』のアニメが昨年12月に最終回を迎えました。素晴らしい作画に加え声優さん達の迫真の噺っぷり、大変に良い出来でした。制作に携わった皆々様、本当にお疲れ様でした! そこで今回は落語を引き合いにして、マンガを描くうえで誰を主人公にするといいのかという問題を考えてみたいと思います。
僕自身、落語は大好きです。ちょっとした縁もあり、僕の親父は一昨年亡くなられた柳家小三治師匠の高校の同級生でした。高校時代の小三治さんは午前中に早弁し、昼休みになると教壇に座布団を敷いて座り、「お笑いを一席」と弁当を食べる級友の前で落語の稽古をしたそうです。そんな話を親父から聞いていたもので、大学に入った直後の1989年春、柳家小三治独演会に初の生落語を聴きにいきました。その日の演目は小三治さんの十八番、『らくだ』でした。
『らくだ』は町内の嫌われ者、図体がデカくて乱暴なもので「らくだ」と呼ばれる本名・馬さん(上方だと卯之助)がフグに当たって死んでいるところから話が始まります。のっけから物凄い話ですが、江戸時代の人々にとってラクダはやたらでかくて役には立たない動物だったんだそうです。その死んだらくだの長屋へ、らくだに輪をかけた乱暴者の兄貴分が訪れます。らくだが死んでいるのを見つけ、葬式ぐらいは出してやりたいと思うものの、兄貴分も空っけつ。どうしようかと思案しているところへ人のいい屑屋さんがうっかり通りかかってしまいます。兄貴分はこの屑屋さんを無理矢理引っ張り込んで、長屋の月番さんから香典、大家さんから通夜の席の酒と飯とおかず、八百屋さんから棺桶がわりに菜漬けの樽をもらいに走らせます。人のいい屑屋さんは商売あがったりの中、ケチな大家さんの家までらくだの死骸を背負っていって童歌の「かんかんのう」を唄って死体を踊らせるなんて罰当たりまでさせられます。
その後葬式の用意が整い、兄貴分の強要で屑屋さんがお酒を2、3杯ひっかけます。と、酒乱の気が出て屑屋さんは性格が一変し大虎に豹変。兄貴分とすっかり立場が逆転し、屑屋さんが先頭に立って遺体を火葬場まで担いでいく、という豪快な展開になります。『らくだ』は見所の多い噺ですが、小三治さんの『らくだ』は小心者の屑屋さんが酒を3杯飲んだところで一気に豹変し、兄貴分を逆に恫喝しだすあたりが実に痛快です。
小三治師匠にちなんで長い枕になりましたが、本題の主人公問題。なぜ『らくだ』という噺において、屑屋さんという最も貧相な人物が主人公を務めているのでしょう? 腕力なら当然らくだの兄貴分です。社会的地位なら大家さん。貧乏長屋の住人達も屑屋さんを下に見ています。スペック的にも活躍度的にも屑屋さんは主人公としての資質っぽいものを何一つ持ち合わせていません。屑屋さんはひたすら噺の中で苦労ばかりしています。
この「苦労」こそ実は、主人公に最も必要な要素だと僕は考えています。どんな物語であっても作中の登場人物の中で最も苦労するキャラクターこそ主人公に相応しいのです。だから屑屋さんは『らくだ』の主人公に抜擢されているのです。
苦労って何でしょう。ずばり、ピンチとの直面です。ピンチに直面して何とかしようともがき、対決する様、それこそが苦労です。言い換えればそれは、読者が最も観たい人間の姿です。
これからマンガを描こうと考えている方はぜひ主人公の苦労がどの程度のものか考えてみてください。作中にもしも主人公より苦労している登場人物がいたら、再考する必要があります。また、作者である自分自身の苦労が主人公を上回っていたらそれも問題です。読者は自分よりヌルい境遇の主人公を許容しません。ほとんどの読者を凌駕する苦労が主人公には求められます。『らくだ』の屑屋さんのように凶悪な兄貴分に恐喝されて散々な目に遭いながら、お酒を呑んで変身して「どこの釜の蓋が開かねえだ? ふざけんじゃねえ!」と逆に悪漢を恫喝し返す、これこそが主人公です。苦労して苦労してピンチを味わい尽くした後にカタルシスをもたらしてくれる好人物、それが主人公です。
要約すると、物語の中で最も多くの汗や涙、場合によっては血を流す人物、そんな人物こそが主人公の資格保持者です。スペックや結果論的な活躍次第で主人公が決まるのだとしたら、その物語は現実社会よりよっぽどつまらない、意外性皆無のありきたりなものになります。苦労は、観客の応援を引き出してくれる最強の要素です。圧倒的なスペックを誇る勝って当たり前の選手から、苦労に苦労を重ねた名もなき選手が奇跡のような勝利をもぎ取る瞬間、これほど応援のしがいがあるゲームはほかにないでしょう。今もし物語を構想中で、なのに主人公が今一つ魅力的でないと感じているならば、主人公に魅力や長所や特技を継ぎ足すのではなく、今より苦労させることをお勧めします。極限の苦労の中でその人物がどんな表情をし、どんな言葉を発するか、主人公の魅力はその時に最大限発揮されるはずです。
その際ひとつ注意点があります。ここで言う苦労は客観的なものです。傍から見ていて「あいつえらい苦労してるな」と思える必要があります。主人公だけが主観的に「なんで俺だけこんな苦労しなきゃいけないんだ?」と思っている程度だと不十分です。大抵それは主人公の甘えかひがみです。四季賞の投稿作を読んでいるとちょいちょいこういう作品を見かけるのですが、その場合僕は即座に「俺のほうがよっぽど苦労してるわ!」とバツをつけてしまいます。ご注意を。また、主人公が客観的に苦労していれば、主観的に苦労を感じていなくとも構いません。「オラわくわくしてきたぞ」で良いわけです。
『らくだ』の噺をするとお酒を飲みたくなりますな。『らくだ』のサゲはこんな感じ。
「ここはどこだ!? なにィ、火屋(火葬場)? 冷やでいいからもう一杯!」