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結局は無駄に疲れてしまうのに/12月の日記

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2週間前の日記を書くことになってしまった。12日、何があったかな、もう思い出せないや。よくないなあ、なんだか過ぎ去って忘れてしまう瞬間をとどめておきたいって思うのに、こんなに遠ざかるとなあ。
沖縄に行った帰りで会社にちんすこうを持っていった。沖縄での仕事がとっても楽しくって、普段の仕事に戻ってきたときの、精神的なバランスがとても難しかった。本を作っている時、音源を作っている時、そういうバランスが崩れそうになる瞬間をもう、数えきれないほど繰り返している。

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二日に一日しかちゃんとやらないケッキング生活なるものをはじめた。ケッキングというポケモンがいて、肩肘をついて横になって怠惰を貪っているけれどガタイがものすごく良いポケモンなのだけれど、とっても強い代わりに2ターンに一回しか動けない「なまけ」という特性を持っている。それを真似てわたしも2日に一回しかちゃんと動かないことにした。頑張ろうとすると、却って何もできずに布団にくるまってyoutubeを見ているだけ、みたいなことが結構あって、気概と現状のずれが酷かったから、思いきって二日のうち一日を諦めることにした。
火曜日は頑張る日だったから、新しいリリースのSNS告知をしたりした。今年のうちに出せることになって本当によかった。

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何かを作ることには色々な動機があって、それは例えば「お金」だったり「承認」だったり、あるいは「訴え」だったり「届けたいひと」だったり、「使命」だったり「存在証明」だったりするのだろう。わたしは今あげたどれもをふらふらと彷徨っているのだけれど、根本で絶対に忘れちゃいけないことがあって、その感情とは、「上手くいかなかったら自分のせいだけれど、上手くいったらあなたのおかげです」という感覚である。初めて味わったのはオペラの演出をしたときだった。その感情になったとき、わたしはまるで身体中に絶え間なく清流が流れ込んできたような爽やかさを覚えたのだった。
自分が大好きで、けれどどこか「自分には何にもないから」と思ってもいて、他人とのつながりこそが人生だと知りながら、それでもわたしから何かを発したいような、そんなわたしの形にピッタリとはまる感情がそれだから、これからは、というかこれからも、その感情を根本にプロジェクトを育てていこうなあ、と思った。

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「やりたいこと」だけがエンジン音をふかせて空回りしているような日。いつだって足元から一歩ずつやっていくしかないのだけれど、なんだかそれを忘れている、忘れ続けている感じがすごくあって、結局は無駄に疲れてしまうのに、学ばなかったりする。そのエネルギーを何かもっといい感じに使えないのだろうかね。

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読んでいたファンタジー小説が終わりに差し掛かって、途中何度も話から引き離されそうになったのに、最後になると名残惜しくなってしまう。
なんだか、小さい頃みた劇団四季で、お見送りに来てくれるキャストのことをクラスメイトくらいに親しい間柄のように感じて手を振って別れるのが辛かったことがあって、その感覚と同じものがファンタジー小説の終わりにはある。
予言があって、戦争があって、予言の通りに王が死んで、王子の悪政から森に逃げて、また新しい生活がはじまって。わたしはファンタジーの魔法に幼い頃からかかり続けていて、それが解けない限り人生に楽しさが消えることはないだろう。

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部屋の大掃除をする。休日部屋にいるのがすごく久しぶりで、それだけで結構テンションが上がったし、気になっていたけれどそのままにしていた排水溝とかをきっちり丁寧に洗えたのはとっても気持ちがよかった。
夜、こたつが届く。途端に部屋に生活みが増す。ちょっと部屋の内装とかシンプルにやろうとしすぎる癖があって、それは悪くないだろうけれど、ちゃんと夜すごい寒かったから、こたつがきてよかった。

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お好み焼きをつくる。パートナーが思い切りよくひっくり返すのを「そういうところすごいわ…」と思いながらみる。不器用にキャベツを切るのを笑いながらみられる。不揃いなキャベツもお好み焼きの中では全然わからなくなっていたから、恐れずに料理しようとその時思った。生活を、ほんと生活を、少しずつちゃんと。


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