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離れようのない愛着

1010
三連休の最終日。友達に会いに講義を受けているという大学に入る。というか潜入する。出来るだけそこの大学生か、或いは院生であるような振る舞いをする。有り体に言うと次の講義がちょっとだるいんよね、というムードで歩く。わたしの大学はひとがあまり多くなくって校舎も大きくなかったので、割と新鮮な景色にときめいていたのだけれど、そんな素振りは無論見せない。
友達は結局講義にきていなくって、てか祝日だから講義なくって、なんじゃらほいということで駅で待ち合わせをして、それから住宅街をとつとつと2人で歩いた。捨てられていた音楽プレーヤーを、わたしが珍しいなと思ってアイフォンのカメラで撮っているとき、友達は「これ持って帰ったら使えるかな…」と小さくつぶやいていた。つぶやきが呪文だったみたいに空が紫色に染まっていて、「この瞬間だけあとで思い出すんだろうな」とわたしはふと感じて、事実その通りになった。

1011
三連休でバタバタと書店巡りをして、何店か自分の本を置いてもらえることになって、そのことで露骨にたぶんわたしの中の安定が崩れてしまって、とても崩壊した1週間となった。結局一回もゴミ出しに行けなかったし、脱ぎ捨てた服や洗濯物があるべき場所にないまま散乱していた。
すこしくぐり抜けた今だからいうけれど(この言葉は週末に書いている)、そうなったらそれに任せてしまえばよろしいのだ本来。だって今まで「わたしの言葉は世の中で評価されるものではない」という前提の中で言葉を書いていたのだから、それが認めてくれる本屋さんが出てきたというのは、これは相当な自意識の改革が必要になってくるだろう。言うなれば変革中なのだ、体内の、わたしへの認識の。
でも、次同じようなことがあったら、と思う。そしたら無理矢理にでも「言葉」をわたしに書かせたほうがよかったかもしれない。言葉を書く以上の鎮静剤はないのだからわたしには、昔から。

1012
Galileo Galileiが復活した。なんだか心が変革中で全く仕事にならないのに加えて、わたしにとってこれ以上ないほどの事件だったので、会社の昼休みを利用して言葉を書いた。
https://note.com/afterhours_st/n/n33b911e6f997

1013
朝、全くと言っていいほど身体が動かなくってびっくりした。こんなに何もやる気が起きないものか、と焦って、仕事にあまりにも行きたくない自分にまた焦った。ほんと、仕事場にパワハラがあったりとかそういうのじゃなくって、ただ自分の中に暴風雨のように「こんなふうに言葉を書いたらいいんじゃないか」「こんなコンセプトはどうだろう」「次はもっとこっちのフォントにしてみたりとかさ」とかアイデアがうるさくてうるさくて、しかもそれらは具体性にかけ、自分の生活と見合わないものばかりだったから、仕事をやめて仕舞えばいいなんて、非常に生き急いだ結論が出る始末だった。
スリープモードの機能がバグってしまった携帯みたいに電池切れでしか意識をシャットダウンできなくって、夜寝付くのに苦労した。途中全くあきらめてポリポリナッツを食べながらゲーム実況をみた。空が白む頃に寝た。

1014
仕事にならないことはわかっていたので午後休をとった。それから弾き語りの登録をした。わたしはやっぱり言葉を書くことで自分を自覚していくこと、律していくことこそがライフワークだと思っていて、その言葉を音に載せることでしか生まれえない角度の自覚があると思っている。そういう意味で、言葉として折に触れて作っていた曲をEPとして出そうと決めた。やっぱり自分の声は好きだけれど歌はなあ、なんだかうまいとは言えないよなあ、と思いながら登録する。でも漫画だって、うまいとは言えない絵だからって面白くないってことはないのだし、ていうか、うまい歌なら世の中本当にたくさんあるし、とか思いながら。
https://linkco.re/czQpf0Q1

1015
ようやく変革がひと段落終わった気がする。とても素敵な出会いがあったからかもしれないけれど、わたしのわたしを自覚していくというずっと続けてきた営為にようやっと、日常は戻っていけるような気がする。それが嬉しくって自転車で街をかけて、人と会って、暗くなるまで喫茶店で本を読んだ。家に帰ってから、とりあえず散らかっているものを片した。そしてここに言葉を書いている。何よりも自分のために言葉を書く。それが回り回って誰かを照らすかもしれない。誰かに向けて書くことばだって同様で、「好きだよ」って伝えるのはまずもってわたしに向けての自覚なんだ。わたしの言葉が直接誰かに届くのではなく、わたしの言葉はわたしの中の暗闇にあたって、反射して、だれかに意図せず届いたりする。だから言葉は毎日書かなくっちゃ、それは自覚だから。落ち着いた。ほんとひどい1週間だった。

1016
甲府のサッカーチームが日本一になって、仕事場もなにも大騒ぎだった。わたしは初得点で席を立ち上がりガッツポーズを決め、延長戦のキーパーに「最高じゃねえか…!」と叫び、PK戦は阿鼻叫喚だった。泣きながらインスタのストーリーにテンションのまま「物語すぎる、泣ける」と投稿して、そこではたと気がつく。わたしは外から見れば、まだ甲府に来て2ヶ月の、ずっと東京暮らししてたやつなのである。
これ、もしかしたら仕事で日々地域の方々と接しているのもあるかもしれないけれど、実際に住んでみたときのその土地向けての愛着ってすんごいんだなと身に染みてわかる。てか思えば3週間滞在しただけの沖縄だって、自分には特別に思い入れのある場所なのだ、だから辺野古基地のツイートの話で受け流せないほどズシンと気持ちが落ちたんだし。
思われているより、思ったよりも甲府に住んでいて、わたしは多分、この街に本屋がないだの喫茶店がないだの飲食店閉まるの早すぎるだの不貞腐れながらも、離れようのない愛着を持ち始めているのだとおもう。

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