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寸劇を

今の毎日を許して、楽しむことを大事にしていこうという自分と、今の環境を許さずに、より自分らしく、あるいは気高く生きていかなくちゃと思う自分と、それなりに毎日を鬱々しく思いながらも、それでも少しずつ良い方向に向かっていくことを信じようじゃないかという自分が入れ替わり立ち替わりの寸劇を繰り広げているような感じで、人間らしいなと思いながらも、はしたない。
仕事先の大好きな人と会う最後の日で、ハリボーがぎっしり詰まったプラスチック缶を、メッセージ付きでもらう。わたしは喜びの表し方がいつもわからなくって、とっさに「よかったぁー生きてきて、あとでちゃんと泣きます」と言う。「なにそれ」と美しい笑顔を向けてくれる。
はしたない寸劇の中にも彩りは確かにあって、わたしはけれどそれの愛しみ方を、今もわからずに「ここではないどこかへ」とか思っていたりいる。

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