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ホールインワンじゃなかった

大変に頭を使う作業工程の日で、仕事が終わったあとこめかみの部分が締め付けられるように痛む。街に現る孫悟空とはこれわたしのことである。

家に帰ってから先延ばしにしていた爪切りなどをする。爪が伸びるとパソコンが打ちにくいことこの上なく、美しく長い爪を携えているわたしの同期なんかはこのやりにくさとどう折り合いをつけているのかな、とか思ったけれど、それならそれで、という風にタイピングの角度が変わっていくのだろうな。

友だちから突如として電話がきて、流れで最近ぐるぐると考えていることを話すと、彼は彼の視点から、意外なくらいしっかりと答えてくれてなんだか嬉しかった。
わたしは小説家になりたいと言い続けてきたのに、小説を書くことが出来なくって、こんな風に毎日を積み重ねるように言葉を書いたり、短歌や詩を書いてばかりいる。文芸誌に載っている新人賞受賞作も、なんだか全然読む気がしなくって、そもそも「小説」というジャンルに対して、読み手以上の「気がついたら取り組んじゃってる感」というものを、わたしは持っていないのではないか、とかなんとか、自分しか興味のないような自分のことを話してしまう。彼は「そりゃあさ~」と彼なりの、慰めや気遣いではない、意見を話し始めてくれる。

距離の短いゴルフコースで誰もがホールインワンを目指すけれど、どれだけうまい姿勢で打てても大抵は周辺のグリーンに落ち着いてしまって、ホールインワンは1つの「ラッキー」として迎えられるように、幼い頃抱いていた夢と呼ぶべき目標にそれなりに向き合ってきた人生が辿り着いていく地点は、やはり通常は「同じようなところ」くらいに落ち着いていくのかもしれない。わたしは「小説家」になりたかったけれど、美しい言葉を書くことにばかり興味が行ってしまう。なんかでも、グリーンにぽトンと白い球が落ちて、数バウンドしてそのまま止まった、として、ティグラウンドで「あぁ、ホールインワンじゃなかった」と落ち込むのも、なんだか筋違いのように思う。ナイスショットでしょ、そこは、と一緒にまわってる人に言われるだろう。

わたしがわたしのわたしらしさを知らない頃に抱いた夢は確かにおぼろで、そこから今のわたしらしさは当たり前だけどずれる。
でも選んだコースは好きだから美しい言葉を書く。それでどうにか手を打とう。時間がかかるかもしれないけれど、一先ずは、そんな自分を許そうよ、とか思いながらシャワーを浴びる。洗顔の泡をたてすぎて、首筋や鎖骨とかまで洗った。

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