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鬱の前触れなのかもしれない

忙しかったり本が出たり、変に賢いふりをして世の中のこと、少しわかったようなセリフが口をついたりして言葉を書いていなかったけれど、わたしはやっぱり賢くないし、何かをじっくりコトコト考えてってことをするとすぐに憂鬱とか現実とのバランスが壊れてしまうわけですから、とにかくこうつらつらと、言葉を書くことをやめてはいけないなと振り出しに戻った。何かを構築したり、完璧なものを求めたり、より良くあろうとしたり、それらは正しく美しい力なのだけれど、ただ淡々と見定めるように生きて、積み上がったものをふりかえってまとめていくような、そういう作り方もまたひとつ、世の中にあっていいのだと思う、それを否定してくる誰かがいれば、そのあり方を証明することがひとつのわたしの生きる意味となるし、賛同してくれる人がいるとすれば、それはそれで日々の光粒になったりもするのだろう。
書くことをやめて良いものを作ろうとしては流れなくなってしまうものがあって、その躓きこそ、鬱の前触れなのかもしれない。

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