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一人になったらいくらでも言ってやる

いい天気だったし海に行こうと思って、友だちと内房線に乗りたいねいつか、なんて話していたし、そっちの方行こうかと思って、とりあえず東京駅まで行ったら、今日が父の日である事とか、誕生日の人に明日会うこととか思い出して、雑貨屋を眺めてみてもピンとくるものがなくって、諦めて京葉線に乗った。
思うのだけれど、東京駅の中央線から京葉線への距離はざっと1.5駅分あるんじゃないか。あれ何、長いんだけど、って、葛西臨海公園に行くときや舞浜に行くときなんかはすべからく人といることが多くって、それも異性のパターンが多い(そういう場所だ)から、寧ろ長さを感じさせないように振る舞うことにメーター振っていたけれど、もうあれ、一人になったらいくらでも言ってやる、長いんじゃあ!と思い続けてたらホームに着いた。
結局内房線まで行くと夜に帰れないので稲毛海岸に降りて、団地の中を縫うように歩き、海岸で写真を撮って(ここら辺で真の目的なブログを開設するための一先ず素材となる写真が欲しかったんだった、とちゃんとした思惑みたいなのを思い出す)、帰りはピクニック終わりの小学生たちと歩いた。
「そんなお店で働いてる方なんて私はごめんですわよ」と前の小学生が言っていて、なんだこいつ腹立つなって全然おとな気なく思って、そう思えるラインのお笑いできるのムカつくな、とか思ってたらバスが揺れて少年のリュックからものが落ちて、拾ってやったら「すみません、ありがとうございます」としっかりしていてますますムカついた、自分で言っちゃ終わりだけども、お前みたいな奴はわたしみたいに変な器用さを身につけてしまうのよ、共にそれを良いことに使えるよう頑張ろうな、フォースと共にあらん。

「夜さえ眩しくて 瞼を閉じてみても
お優しい言葉に高鳴り気づけば
愉快なリズム口ずさむ」

方々からすごいぞ、良いぞ、と聴くのでようやっと聴いて、案の定めちゃ良かった。ずっと昔からみえてたこの人たちの良さみたいなものが爆発したって感じで、明らかに一線を超えた場所に行っているのが、本人たちにとってはずっとずっと前から見えている景色だったと思うんだけれど、ようやく現前したってかんじが格好よくて、わたしも毎日こつこつ頑張ろうと思った。
失敗してはとんでもない発明品を生み出して街中に迷惑をかけたり、取り返しのつかない過ちをおかしてしまう発明家の博士のようにはなれないけれど、わたしはわたしで、すごく不恰好に振り返ったり手すりを握ったり、四足歩行で歩いてはより不安になって凛々しい姿勢になってもそれも三日坊主で、みたいなことを延々繰り返しながら、それでも確かに前に進んでいると、うるさいくらい確認し続けて、いつの日かの爆発に備えるのじゃ。

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