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7/24~7/30

7/24
「輪るピングドラム」の劇場版を観た。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」へのオマージュの一つのような今作品。「誰からも愛されなかった」という呪いのような不幸に向けた「僕は君を愛している」という言葉。「見つけてくれる子供になったんだって、嬉しくて泣いたの」夕暮れの浜辺でわんわんと泣いた子供時代を思い返すようにヒロインが呟く。
初めて舞台挨拶の中継とセットになってる上映を観た。切れ間なくはじまった映画本編、トイレが無性に気になってしまった。浜辺のシーンでさめざめと泣く。

7/25
仕事をしているふりのような仕事を夜までやって、結局ベッドに入ってからもその調子でPCをポチポチやっていた。仕事の行き帰りにワンピースを読みはじめた。昔はナミの体型がボンキュッボンすぎるのに違和感が勝っていたのだけれど、今は魅力的ダナァ〜と思っている。
大人になって良いこともある。

7/26
喉が痛いのが怖くなって、仕事を少し抜けてお医者さんに行った。熱はなくって、普通の風邪だと思うと言われて、少しだけ安心して、強めの薬を貰って仕事場に戻った。

7/27
午前中から喉の痛みと関節の痛みが重なって、怖くなって仕事を休んで抗体キットを使ったら陰性だった。上司に体調が悪いことを報告したら、明日はひとまず休むことになった。抗体検査キットが陰性でも全く安心できず、体がとっても重たくってとりあえず沢山寝た。眠れない時はワンピースを読んだ。

7/28
家で仕事をするのと寝るのを繰り返した。恐ろしいくらい幾らでも寝れた。PCR検査を受けようにも病院はいくら電話しても繋がらないか「もう予約は一杯です」で、ようやくつながった場所でも「熱がないなら抗体検査キットで」と言われた。夜に親が買ってきてくれた検査キットでもう一回検査をしたら陰性だった。寝た分メモリが少しずつ上がるように体調は良くなっていって、どうやらただの「寝不足」だったのかもしれないと思った。あとは、仕事をずっとやっていたこととか。書いていて思ったけれど、いつもは「仕事するのがやだ」という強い気持ちがあったのに、今回はそれをも超えて「もう仕方ない、やるやる」という感情で、それが自分的には成長の証というか大人になっていったのかと好意的に思っていたのだけれど、もしかしたら「忙しい忙しい」言ってるうちはまだ大丈夫、みたいな、なんていうんだろう、実はセンサーが壊れてしまってデッドラインまで行っていたという、危ない状況だったのかもしれない。

7/29
確かに元気になった。少しずつ引っ越しの準備を進めたり、あとは普通に仕事をしたり(全く手の離せない状況のところでわたしは休んでしまってるのだ)、あとは眠くなったら寝た。夜になって引っ越しの振込のついでに街を歩いた。外は残酷な夏模様で、少し疲れた。

7/30
夜の井の頭公園で、いつも一緒に企画をしてくれる人たちと集まった。暗くなってきたら、2Lのペットボトルの下にiphoneのライトを置いてランタン代わりにした。7時くらいにあたりで家族連れや大学生たちが競うように花火の煙を立てる。9時くらいになると夜は夜らしくなって、あたりには静けさが戻ってきて、わたしたちはお酒とお水と枝豆とチョコレートをちびちびと嗜んだ。
タロットカードでこれからのことを占ってもらった。そんな機会でもないと、自分の本当に思っていることを話す瞬間なんて訪れなくなっているなあとふと思う。例えば会社の人とだったらさ、その人と関係のある未来の話しかしないわけで、なんていうか、純に自分のことを話す機会なんて、本当にないものだ。
タロットで出た選択の先にある未来は、どう転んでもなんだかキラキラはしてなくって、変な真実味があった。現状を示すカードを裏返した時、占ってくれた友達が「お」と言った。タロットカードで一番良いとされる「世界」のカードだった。わたしがこれから「何かになりたい」とか「こう生きなくては」なんて、思わなくって良いのだという思いがおかげで強くなった。わたしはすでに始まっているのだ、この毎日の中で、然るべきところへ行けるのだと、なんだか安心した。
生き急ぐ日々がきたら、タロットカードを買って、「世界」のカードだけ引き抜いてお守りにしよう。もう大丈夫だ、新しい選択をしなくたって、大丈夫と、宥めるように鎮めてもらうんだ。

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