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レンズを光の方へ向けて

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わたしには何人かとっても信頼している人がいたり、友だちと括るには憚られるような秘密を共有している人がいたり、眠れない夜に突拍子もない電話をうけてくれる人がいたりして、多分人生のよかったことのかなりのものが他人との関係のおかげみたいなところがある。それでも、ららと(今パッと「らら」と浮かんだので「らら」という名前にする)のこのふたりの関係はちょっと、きちんと「特別だね」って確かめあいたいねってなって、「じゃあ、ここからはおたがい、特別でいよう」って話をしたりしたそのあとの朝、だからといって仕事に身が入るとか、毎日がぎゅいんと変わるというとそんな感じではなくって秋晴れでやけに気だるくなって午後はずっと外に出て空をみる。山々が遠くに行くにつれて薄まっていっていて、なんだか浮世絵そのままみたいなそれを眺めながらぼんやりとやり過ごしていた沢山のことを端において。

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就活の相談を受けていた後輩から無事に就活が終わったと報告があって、夜に近況を聞く電話をした。小坂忠の話をしたり、ティンパンアレーの話をしたりして、小坂忠の生きていたときのライブを観たというから、「え、まじ、しらけちまうぜって言ってた?」ときいたら(「しらけちまうぜ」は小坂忠の代表曲)、「言ってました!」と大きな声が帰ってきて、そのなんか真っ直ぐな「言ってました!」に「言ってはないでしょ〜〜」とけらっけら笑った。
同時に抱えている仕事や制作の数が両手に収まらないほどあって、電話を切ってから、熊に怯えるうさぎが木の穴に必死に帰るようにお酒を飲んで布団に入って全部遠ざけて寝た。

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お仕事の関係で農家さんからもらったぶどうが美味しすぎて家で食べてたらちょっと涙が出てきた。なんか最近風景や音楽やすぐに泣いてしまうのだけれど、それって自分の「目」と「耳」だけの話かと思ってて、でも違くって、五感全部がすぐに泣いちゃう仕様になっているのだと気が付く。
感じたものを書くことしかできないよね、って結構前から開き直っていて、でも逆に、「感じること」だけには多分センシティブになっているのかもしれない。
でも多分あなたも泣きます、あまりにもおいしいその、口の中で幸せな甘さがはじける粒たちを独り占めしたら。

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嘘みたいに天気が良くってとてもいい気持ちでチャリで山の見える方へ、見える方へとこぎつづけた。
そっから地図アプリを出して、近くの喫茶店を調べて、イトヨーの中とか大通りに隣接してるところとか回って、それぞれの店でできる限り制作のことをつめて、っていうのを夜まで繰り返した。1日ちゃんと休みなの久しぶりで、でも部屋の片付けとかすれば良かったなんて毛ほども思わないくらいすんごい美しいしやることで手一杯の日だった。自転車を漕いでは写真を撮って「あ〜〜もうしんじゃうのかも〜〜」とかたいだな小声で言って。

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研修とかあってしばらく実家に帰ることになって鈍行で帰ったら遅延とかあって3時間くらいかかった。道中「地球の長い午後」という嘘みたいに面白い小説を読む。でもとにかく情報の多いSFだったからこまめに閉じては携帯を開いたりぼーっとしたり音楽を聴いたりしながら、ゆっくりと光が集まってきて、都会になるさまをのろまに味わった。

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川内倫子さんの写真展にいく。写真を撮るってことがよく分かってなかったような気がする。それはたとえば、とても綺麗な構図で撮ったり、あるいはそこにしかないものを記憶に残したり、誰かの一瞬を取り留めることでしか写すことのできない表情を捉えたり、とかいうことがあると思ってたけど、それより前提として写真とは光なのだと思った。そして光を集めて写し取るのが写真だとしたら、なんていうか、写真って絶対的にポジティブなものだな、とも思った。わたしも光を撮りに出たいと思った。レンズを光の方へ向けていきたいと思った。

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来月に友人の音楽家と催し物を開いて、朗読をしたり歌を歌ったりすることが決まり、彼のいる大学に入ってその合わせをした。ちょっと休憩といってコンビニに出かけて、ふたりで違う種類のカップ焼きそばを買って誰もいない食堂で麺を啜っていたとき、ぼんやりと、あぁこれはうまくいかないわけがないな、と思った。窓の外はあまりにも青々とした空で、紅葉は程よく、わたしたちはもう何も決めずに本番まで行きたいという同じ心持ちを持って、けれど一応という手前で2人で試しにやってみたものはやはりとても良く、これは大丈夫だなぁ、良いものになると独り言のように言い合って笑った。

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