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第二宇宙速度

着々と出す準備をしている本に使う紙を決めに、製本会社に行った。中身は基本自分で決めているものの、本のデザインや入稿は信頼できる人と一緒にやっている。結局、自分一人では選ぶことのなかった製本方法と紙を選ぶことになり、その結論が生まれた時の、瞬間の心地よさというか、感情の純度みたいなものは他に変え難いものがあった。自分なりに考えて、こうしたいと思うことがあったとしても、それはどこか臨界点を超えてくれなくって、「ああ、作ってよかった」と心から思えるようになるものが出来る時はいつも、自分以外の誰かによる選択が入り混じってくるのだ。
SF小説で読んだのだけれど、地球の重力圏から脱するために宇宙船は第二宇宙速度(約 11.2 km/s)に達する必要があるらしい。なんとかして毎秒11キロという破壊的な速度を超えられない限り、ずっと重力圏から抜けることはできないのだそうだ。わたしの作るものも多分ちょうどそんな感じで、個人という重力から放たれ、より開かれたものになるために必要な速度を、わたしは、自分一人では生み出すことがまあ出来ない。それは向上心の欠陥なのかもしれないし、自信のなさなのかもしれないし、あるいはやもすると人間は一人では生きていけないとかそういう、普遍的な話かもしれないけれど、何にせよ、外に飛び出るための速度を作るために、わたしには誰かという存在が不可欠なのだと最近つとに思う。

ただ最初から、誰かに頼っていてもいいものが作れないという事も事実だ。決して自我がないわけでも、こだわりがないわけでもないから。けれど、宇宙に飛び出るための11.2 km/sを最後に生み出すのは、わたしではない。少し飛躍しているように聞こえるかもしれないけれど、そう思うとき、思えた時の「わたしはこの世界にいていいのかもしれない」という感じ。どれだけ一人になりたがっても、繋がりを求めてしまうのだという実感の尊さ。感情の純度。

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