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温もりや優しさもそう出来たらいい。

0912
会社の人に飲みに連れていってもらった。飲みにいくのが得意、だったり、好き、という風には正直どうしてもなれないのだけれど、誘ってくれる人がいること、仕事以外の話ができること、それが最近は素直に嬉しかったりもして、けれど結局行って、ちょっと帰るのが遅くなって1人になると、家にたまっているたくさんの「すぐにでもやりたいこと」や「ルーティンで続けているけれど夜が遅くてもう出来ないこと」に押しつぶされてしまったりする、わたしの身勝手な心。
甲府のお店、特に全然知らなかったけれど、安くて美味しいところばかりだし、一品一品の量があるしで、友達と行きたい!と思った。東京の友達の幾人かがこっちにいたらすごい頻度で会ってしまうだろう。友達はみんな東京や海外にいて、土管に入ったらコインがたくさんあるボーナスステージのような、ふとした日に友達と会ってはしゃぐみたいな瞬間がないのは、少しだけ寂しい。けれど、土管に入らなくても毎日はちゃんと進んでいく。それこそマリオだって、ちゃんとステージが終わるし、時たまゴールしたお城の上に花火だって上がる。

0913
県立図書館が駅前にあって仕事場から割とすぐなのは実はとんでもないハッピーで、感覚としては深夜アニメの放課後の溜まり場くらいの青春感溢れる木漏れ日が、10年前に建てられたばかりのガラス張りの図書館には降り注いでいる。
何年かぶりにミヒャエル・エンデの「モモ」を読む。モモにはふたりの友達がいて、その内1人のジロラモ(通称ジジ)は空想話を話すのが大好きで、モモにいつも物語を話していた。彼は物語の中盤で世界的に有名になり、需要に応えるために過去の物語を使いまわしたり、どんどん過激なものを話したりするようになる。夜、自分自身を尊敬できなくなっていることに気がついて、布団の中で泣いてしまう。「夢見るジジは、嘘つきジロラモと成り果てたのです」。わたしは胸が痛くなって、わたしの心に「ジジ」がいるのをはっきりと感じる。

0914
仕事が煮詰まっていて、してるフリも出来なくなったから、意を決して大散歩に出た。大散歩とは、1時間弱「知らない道」を歩くという、東京の頃にも行っていたリフレッシュ方法のひとつで、わたしは社用の携帯と自分の携帯ふたつをポケットにいれて、行ったことのない北側の道路を登った。
大通りには、テイクアウトのみのコーヒーショップみたいな小ささの電化製品店があって店主とショッキングピンクの服を着たおばあさんが話をしていたり、妙に凝った建築の塾を女子高生が駆け上がったり、駐車場の広すぎるコンビニの店主とお客さんが子供の話で盛り上がったりしていて、この街はこの街の中で回っているんだと、変な感慨を抱いたりした。
仕事の行き詰まりがとれないまま会社に戻っていると、看板を大きく揺らしてケケケと笑うメガネの男子高校生がふたりいて、やめといたら〜?と思いながら近くを通ったらものすごい早口で、「オレのTOKYOを感じる方法、一、椎名林檎を聴くこと、二、こんな感じで歩くこと」「ケケケ」と楽しそうだった。
椎名林檎がこの街の循環に小さな風穴を開けていた。
わたしはなんだか感動して、彼がどんな感じで歩くのかを見逃してしまう。

0915
鳥取の同期と電話をする。夏まで一緒の職場にいたのに、今は随分と離れてしまって、大人になるってそういうことが当たり前になることだとは思うのだけれど、なんだか慣れない。学校で1人が転校するだけであんだけ騒いだじゃないか、という思いがどこか消えないのは、わたしが海外に留学したりだとか、一人暮らしをこの年になるまでしてこなかったからだと思う。
会話の内容はもちろん、大体は仕事の悪口だったけれど(仕事仲間の特権だ)、少しまじめな話をした。
わたしは少し性自認が揺らいでいて、けれどそれを表明することや、言葉にすることがずっと出来ずにいた。一人になったおかげで、それに少しずつ向き合いはじめている。「とてもいいね」と同期は言ってくれた。ゲド戦記で自分の影から逃げ続けていた主人公が最終的には影を追い求める側に変わるように、少しずつ、わたしはわたしの心と身体や生活の乖離と向き合いはじめなくてはいけない。
電話を切ってから明日の朝ごはんを買いに外に出た。甲府は山に囲まれていて、ポツポツと家の明かりがどこにいても眼前にある。暗闇からずっと観られているような気持ちになる。

0916
週の前半進む気配が見えなかった仕事がどうにか間に合ったので、自分への褒美の意味も込めて休みにした。電車に乗って、数駅先のショッピングモールに行った。道に少しだけ迷って、両側が田んぼになっている道を歩いていたら、横の小川にアメリカザリガニがたまっているのが見えた。わたしが覗き込むとイナバウアーみたいな威嚇をしていた。
ショッピングモールではヘアブラシだとかお玉だとか生活用品を買いに出たつもりが、結局ずっと本屋にいて漫画や歌集を買った。本屋はRPGゲームの街のはずれや山の頂上にある絶景みたいなもので、用がなくても訪れて、ぼーっとしてしまう。
フードコートで、久しぶりのマックを食べてから、買った本を開くとき、悩んだ末に帯を剥ぎ取ってハンバーガーの包み紙と一緒に捨てた。
わたしは帯をいつもぐしゃぐしゃに汚してしまう。本当はいつも汚してしまう前に手放してしまいたかった。温もりややさしさもそう出来たらいい。いずれ汚してしまうからという理由で、手放せたらいい本当は。

0917
ラジオをはじめた。ひとりでやるのが億劫で、ラジオ好きの大学の友達に声をかけたら乗り気になってくれた。ひとりでやるラジオはどちらかというと表明に近いが、ふたりでやるとそこに雰囲気が生まれる。その雰囲気は、ほんと学校の放課後だとか、大学の講義の始まる前だとか、会社で飲みに行った帰りで2人になった時の感じとか、そういう瞬間を「声」という形で閉じ込められるものになっていて、変わっていくことと変わらないことばかりを考えているわたしにとっては、まさにうってつけの形だった。
タイトルは「とりあえずまあ」とした。何かをパブリックに出すというのは、とても力のいる行為だから、わたしの人生のスタンスのようなこの言葉をつけた。とりあえずまあ、という気持ちではじめたものが誰かのおかげで続いていく。その予想外にわたしの人生は支えられ続けている。


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