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5月の日記-昔の恋人の話をしたら

5.1
北本さんと作った新刊『じゃあねともだち』が届く。届くとわかっていたので会社に出る前に接写用に布を広げたりカメラをセッティングしたりしておく。mina perhonenのオンラインショップで買った布をこの日初めて広げた。いやあ、さすがに、さすがにかわいい。
新刊はいい感じだった。というか、ちょうどよい読後感にうまく着地できた気がした。これ以上行くと切なさがしつこくなってしまうし、もう少し少なかったとしたら持っていきたかった高度の手前で浮力を失って墜落してしまう。
北本さんにおくる本にNo.1とナンバリングして梱包する。喜んでくれたらいい。

5.2
『じゃあねともだち』をいろんな本屋さんに送る。深夜までその手紙を書いたり梱包したりする。テレビにはゼルダの伝説のゲーム実況を流しておく。好きな村のBGMが流れてきて、なんか「よっしゃ〜」とつぶやいた。思ったより大きな声が出て、ちょっと笑う。

5.3
コンサートを聴きに友達が甲府にくる。「島根だな、この感じ」としきりに言っていて、「いやわからんのよ」と言いながら街を案内した。
夜は東京で用事があったので、二人であずさに乗って甲府から出る。なんの話をしたか断片的にしか思い出せない。クレンジングオイル何使ってるかって話、友達が三人しかいなくってわたしがその一人になっているという話、最近の悩みを話したらそれに対する肯定でも否定でもなく「めっちゃいいね」って言ってくれたこと、それが本心からの言葉だと直感的に思ったこと。
夜は岩崎くんと新宿で会ってDUGに行った。多分二人で色々なことをするのだろうと思った。その未来が想像できすぎてしまって、頭の中で高速回転する妄想を安易に口にしないようにするので精一杯だった。四ツ谷駅まで歩く。途中随分と自分の悩みについて話した。わたしはわたしの個人的な悩みをこれでもかと人に話しすぎている。

5.4
海に石拾いに行くって行事に合流しようと思っていたのに、体が動かなくって行けなかった。とりあえず新宿まで出てみるけれど、やっぱり行けなくって、眼科画廊でやっている東ひかりさんの展示を見た。本にサインをもらって、ルノワールにいって、本を一気に読んで、展示と本の感想を長文でしたためた。それからコナンを観て「最高だな…」と思った。
夜は葉山さんと稲荷さんとご飯に行った。少し早く着いた稲荷さんとわたしで食べるところを探していたけれど一向に見つからず、けれど夜風があまりにも気持ちよかったので、このままこの感じでいいや、ってなって、結局そのまんま葉山さんと合流した。
チキン南蛮とちゃんぽんを食べた。それが両方、一人じゃ絶対食べないパンチのある料理で嬉しかった。笑い話のつもりで昔の恋人の話をしたら二人は全然笑ってなくて、ああ、この人たちは優しいんだと思った。冷静に考えたら確かにぜんぜん笑い話じゃないし。なんだか、二人ともわたしよりちゃんと年上で、それが心地よかった。

5.5
パートナーを(多少強引に)連れて新宿バルト9でコナンを見る。二日で二回観て、2回とも「最高だな…」と呟く。その後高円寺の本屋さんを回る。ヤンヤンさんに自分の本を置いてもらえることになった。嬉しい。夕方になり、阿佐ヶ谷まで散歩した。東京が好きだ、と思った。普通に、都会としてというより、故郷として。

5.6
昼過ぎまで寝てから仕事にいく。『エーミールと探偵たち』を読んでさめざめと泣いてしまう。突然だけど、映画『君たちはどう生きるか』で宮崎駿が真人に託しているのは、「いい子」であることだと思う。それは啓蒙的であるという言い方もできるかもしれない。けれど同時に、それは彼が「いい子」であり続ける真人が自由に人を愛する術や、他者への想像力を持つことを信じているという眼差しである。
児童文学に広く言えることなのかもしれないけれど、その、「いい子」であることを信じているという(大人たちの)眼差しの優しさには、中には傲慢さも往々にして見えるけれど、美しい形の暖かな愛も宿っているものもあるように思う。

5.7
才能、みたいなものの化けの皮がようやく剥がれてきた気がする。それはなんか金属を爪でずっとカリカリするみたいな、そういう根気のいる、というか、時間のかかるものだったけれど、思うに、わたしにとって才能と思えているもののほとんどは、力を入れる角度が優れているものなのである。力がこもっているものは沢山あり、それはそれ自体で美しいが、そのこもる角度や方向性の有り様で、魔法がかかっていく。それを才能と呼んだりするのだろうと思う。いや、知らんが。

5.8
駿河屋でめちゃ安く自分の本が売られている。別に悲しくはないし、かといってめちゃ嬉しいってわけでもない、不思議な気持ち。駿河屋でわたしの本が安く買えますよ。

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