見出し画像

きっと絶対忘れない

自転車を買った。自転車に乗ると地図アプリが要らなくなった。どういう道順でいく、とかどうでも良くなって、ただ、大体あっち、という方向さえわかれば大丈夫になったから。その感覚は中学校の時の二つ先の駅へと自転車で習い事へ行く道中を思い出して、来たばかりの土地に馴染みを勝手に覚えて少し、いやとっても嬉しかった。
夜、明日から仕事だってこととかも含めて、一旦ぜんぶ忘れたくてもう一度自転車に乗る。甲府の夏の夜は、風が透き通るように美味しくて涼しい。明かりの乏しい道路、どこか分からなくなりながら1番重たいギアで立ち上がり風を浴びたとき、あ、どうしよう!と思った。どうしよう、この瞬間のこと、きっと絶対忘れない。
夜10時に家を出ようが誰もなにも気にしないひとりの夜、安いサンダルの指の隙間をくすぐるような風、耳元の下らない深夜ラジオ、この瞬間を忘れないだろう、遂にわたしは一人で暮らしはじめたんだ。解き放たれたように前髪がぶわっとあがる。次見えたコンビニに立ち寄って、気分だったらアイスを買おう。宿木みたいに光るコインランドリー、ふわっと包み込む洗剤の匂い、タオルを首にかけた大学生たち、闇の鱗のような川の流れ、遠く向こう、山並みに並ぶぼやけた明かりの暖かな色。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?