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やがて全部怪物の一部

昨日うまく寝れてなかったのか、ずっと寝不足の月曜日だった。本当にやばい、という偽りのない焦りが先週はあって、だからこそあれだけ元気に働けたのかな、と思う。ナウシカで酸の海というのが出てきて、その水に触れると焼け爛れてしまう。先週のわたしは、酸の海を背にギリギリのところでなんとか耐えながら、踏んばる踵に迫る波の気配に却ってアドレナリンが出ていた。
今日は、酸の海はまだあるけれどすこし距離ができている。この安心が一番怖い。今週を駆け抜けたら、たしかに少し落ち着いていいけれど、今はまだだめだ。本当のところはまだはじまっていなくて、ただ準備が何とか間に合った、それだけのことなのに。

わたしの小賢しいからだ、すぐに余裕を見いだしてしまう。また「やりたいことと違う」なんて次元へ毎日が還っていく、そのメタを張る速度だけに頭の回転が使われているような気がして、はしたない。
「恐れないずっと永遠に 燃え続けてみせるわ 自分のためだけの太陽 焦がされていたい」
大好きな曲が死に近づくことを恐れないでいて、わたしは、こうして音楽を聴いたり小説を読んだりする毎日を通じてなんだか純化されていくような、「好きなものだけに囲まれる」ようになっていくような気がしていたけれど、全くそうではなかったみたいで、むしろその真逆で。
わたしだけの湖を愛でる時間は終わって、大海に飲まれそうなわたしが恐れを持つ時間も終わってきていて、わたしはジンベイザメみたいに大きな口をあけて、湖も大海も優しさも死もはしたなさも全部取りこんでいく。身体の中で混沌が育っていく、ごちゃごちゃになっていく。
そしていつか、わたしは怪物を産み落とす。巨大な足音で街が揺れる。巨大な体は大きな影をつくり、あたりには闇が訪れ、何も見えなくなる。海は外にあるものではなく、いまや自らの投影。体内のレンズを通してみえるプリズムみたいなもの。だからわたしはここにしか居ないし、どんなわたしも醜くて、同時に愛おしいはずなんだ。そう思えないのは、まだ何も足りていないから。ごちゃごちゃとするには幼すぎるから。やがて全部怪物の一部になる。わたしは大きな闇をまとうそれを産み落とす。だからいずれは愛おしくなる。忙しないわたしも、そうでないわたしも、たぶん。

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