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あとは夜の寂しさがなければ

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東京でしごとの研修があった。わたしたちはコロナがちょうど始まったときに入社したから研修は全てオンラインで、実際に集まるのは今回がほぼ初めてのことだった。「最初で最後の機会なので…」と何度も言われて、なんだか大切な1日にしなくちゃいけないような気持ちになったけれど、いや、結構いろんなことが「最初で最後だよな」とかも思ったりして、そんな言われても中々すぐに仲良くするって感じにもあらんよ、と思ったり。
でも結局、知らない人と混ざって夜ご飯に行った。その後帰り道が一緒だった同じ部署だった同期と下北沢で遅くまでのむ。甲府に行って一番の敵は「寂しさ」で、それは季節のせいもあるかもしれないけれど、とにかく人のいない夜の侘しさと寒さは東京にいた頃は感じなかったもので、午前一時を過ぎても道路の隅で輪になって缶ビールをしっぽりと飲む下北沢のバンドマンたちを横目に、「ああ、わたしはこの感じやっぱ好きだなあ」と思ったりした。都会の喧騒を表面上忌み嫌いながら、それでもその中であまりにも自意識が育てられてきていたという事実があって、どうしても居心地が良く感じる。わたしは将来やっぱりここらへんに戻ってくるのだろうか。ね。

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せっかくの研修二日目だったけれど、仕事が終わっていなくって終わり次第即刻帰って喫茶店で作業をした。途轍もない作業量があるのが薄々わかっていて、けれどなんだかそれにうまく対応できる身体じゃなくって、って感じで。というかお金もなくなってしまって、やっぱり実家にいる時のようにはプライベートの活動にお金をがつっと注ぎ込めないのがわかる。なんだかけれどそれって悪いことじゃなくって、少しずつ身についてきた「わたしがわたしであるということ」ということの価値?というか富というかなんだかな、そういうものをきちんと信じられれば、たくさんの人とものを作る以外の方法で(もっとパーソナルな方法で)ちゃんとしたものを作れる体になるのじゃないかなあ、などと思ったりした。
自分に自信を持つための一人暮らしなのだと思っている、それも適切な、静かな自信を持つための。

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研修最終日がおわった後ぽっと新宿に抜けて、友達と普段やっているラジオを対面で収録する。対面だと全然違うわな、やはり、と言い合う。それに、事前にいろいろと準備してきてくれていて、その準備の節度がとても良かった。決して甘えるわけではないし、そういう風にならないようには常に気をつけていなくちゃいけないけれど、それでも「ああ、この人は信頼できる」と思える人と過ごす時間だったり作るものだったり、それってとてもかけがえがない。それは単純に「真面目」だったり「才能がある」とかいう一般的な長所よりももっと複雑な、人と人としての感覚のつながり合いみたいな部分の感触で、そういう人と会うたびに穏やかに感動すると共に、わたしがわたしらしくあろうとすることを考えづけてきて良かったと思ったりする。

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山梨に帰ってきて、なんだか「お金がない問題」をどうしようかと考えて、やっぱり食費えぐいよな、という話になり、それでも料理をする心の余裕がなかったから、スーパーに行って冷凍食品を2500円くらい買い込む。2500円で外食8回分くらいは賄えそうである。
それについでで粉末状のコーンポタージュを買う。どれだけかき混ぜてもコップの底に固まっている黄色を懐かしく思う。子供のころ、たくさん飲んでいたわけでもないのに、なんだかそこに背の小さかったころの思い出が固まっているように思う。

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この日が誕生日であってくれると一番覚えやすいよな、と毎年思う。その度に思い出すからかもしれないけれど、小学校のクラスには2人この日が誕生日の人がいた。どちらも卒業してから全くと言っていいほど関わりを持っていない人だ。今どうしているんだろう、などとも正直思わないようなふたりだ。
この日は仕事でホテルに泊まった。夕食を食べてから同じ年くらいの仕事の仲間が3人わたしの部屋にきて、ぶどうをつまみながら小一時間喋っていた。なんだかその時に寝てしまいたかった。ひとりになったらなんだか拠り所を失ってしまって、寝るのに少し苦労した。

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まだ夜が明けていない頃にホテルから車に乗り目的地について、山を縁取るように太陽の予感で空が白ずんでいくのを、「あ〜〜さむっ」とか言い続けながら眺めていた。この間友達が山梨に来た時、山のみどりを見て「あれって全部木なんですよね……」といっていて、なんだかその呟きが不意に腑に落ちた。自然の中で生きているという実感は、なんだか「正しい」という感じがすごくする。空気の気持ちよさも「正しい」し、肌寒さも、太陽の強すぎる光だって「正しいよな~」という感じがすごくする。
SFで地下世界が広がり、バーチャルな太陽のもとで人々が暮らしているような風景を見たりして、なんだかワクワクしたりするのだけれど、一方で自然にしかない「正しさ」を感じられないとするならば、結構辛いなその世界は、と最近沁みるように思う。SFの地下世界に憧れではなく、人間が間違った方向に進んでいるという風刺としての意味合いを強く感じるようになった。
あとは夜の寂しさがなければ、わたしは都会から離れて暮らしてもいいかもしれない。

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自由が丘で録音をする。久しぶりに会う人たちがいたけれど、なんだかそれにテンションを上げる感じでもなくって、淡々と制作を進める。小さい頃、田舎の従姉妹に会うのがすごく楽しみではしゃいでいたのに、大人たちはそれが当たり前のような顔をしていたことが頭をよぎって、大人になるとは感情を体で表さなくなることなのかもな、とか思ったりした。大好きなバンドのボーカルがTwitterでバンプの「ギルド」をカバーしていて、Bメロの「悲しいんじゃなくて、疲れただけ」という歌詞が10年以上前にハマっていた時とはまた違う実感を伴って耳に入ってきた。早起きが続いていて、変な緊張感を持ったまま、0時ごろに山梨へ戻ってすぐに寝た。

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