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まるでハッピーエンドみたいに

この記事は、わたしが友人と配信しているポッドキャスト「たるいといつかのとりあえずまあ」内で行っている好きな短歌を紹介し詠み合うコーナーを書き起こし、要約したものです。今回は初谷むいさんの短歌を取り上げさせていただきました。
※今回はラジオ後に喋りたかったことが整理できたので、しゃべっていた内容に大幅に加筆しています。

2月中旬のラジオ「わたしら藝大でなにしてたんやろか ~混沌と絶望の19歳編!~」


今回の歌
さいごには言葉あかるく干上がってあなたにわたしのすべてが届く
/初谷むい『わたしの嫌いな桃源郷』(書肆侃侃房)


たるい)この初谷むいさんの歌集、わたしは物語だと思っているんですよ。

いつか)ほお

たるい)最初の連作「あたしたちは花器として」には短歌と一緒に散文が載っていて、そこには好きだった人と離れ離れになった現実のことが書かれてる。その次の連作は「ghost like boyfriend」ってタイトルで、「幽霊はいた/幽霊は去った/幽霊はいた」というみっつのブロックに分かれているんだけれど、この連作で現実にいた「好きだった人」を現実にいない幽霊として感じるようになってくるんだよね。現実に立脚していた足が離れていく。そんでこの後からさ、「幻肢」とか「世界の剥がれ目」とか「夢の光源」とか「呪文を唱えたって抜け出せない物語」とか、そういう現実ではない場所、物語世界というか、タイトルを借りれば「桃源郷」についての歌がどんどん増えてきて、で、象徴的な歌として「どうしたら窓を壊して会えるかな夢の中の確信が終わらないのです」っていう歌が出てくる。いつの間にか、夢の中に確信の方を持ってる、向こう側の世界の方が正しいみたいな感じになっていくんだよね

いつか)はあはあ

たるい)でもそっち側の物語世界、夢、桃源郷の世界ってさ、現実じゃないところだから、そこには現実に生きるわたし達はとどまり続けることができない、いずれ帰らなくてはならないものなんですよ。

いつか)うん

たるい)アニメーションでよくあるだんだん体がきらきら〜ってなって世界から消えていく感じあるじゃん。ああいう、夢の世界から帰ることを予感させる歌が最後になるに連れて増えてきてさ、「もし世界が今日終るなら」とか「ながいゆめのようだったから」とか「元気でいます」とか、世界から消えることを自覚した、みたいな歌がどんどん増えてきて

いつか)うん

たるい)で見開き6首載ってた歌が、こう2首になっていくんですよ最後

いつか)なるほど

たるい)まるで体がなくなっていくみたいに

いつか)うんうん

たるい)だからこの歌集は「桃源郷」にわたしが行って、そして消えて、帰ってくるっていう、大きな一個の物語になってるように読める、と僕は思っている。

いつか)なるほどね

たるい)その「わたしの嫌いな桃源郷」っていうタイトルも、これはすごく個人的な詠みになってしまっているけど、むいさんはこの歌集の中で現実からみた桃源郷、物語世界の方にいて、そっちからだとむしろこっちの現実の方が「桃源郷」「夢」としてみえている。だから、この現実のことを「わたしの嫌いな桃源郷」って言ってんじゃないのかなって僕は思いながら読んでたんだけど

いつか)なるほど

たるい)その最後の体が消えてってるって僕が言ったところの、最後から1つ前の短歌をちょっと紹介したくて、それが「最後には言葉あかるく干上がってあなたに私のすべてが届く」。僕とても好きですね。

いつか)干上がって

たるい)うんそう。「干上がる」という現象に明るさはない。けどその言葉上においてそれを明るいものにしているっていうのが。体が桃源郷で粒子になって消えていく、そんな結末に、やけに明るいエンドロールがまるでハッピーエンドみたいに流れているような感じがするんだよね。

いつか)うんうん

たるい)この逃避行の終わりにふさわしい歌だなっていうのと、まあ普通になんて言うんでしょうね、言葉の並びも好きだなと思って

いつか)「干上がる」なんか実態のなさみたいな

たるい)そう。言葉って、人間がその人である証みたいなものだから、それがなくなって、もう現実でいなくなってしまったあなたにわたしの全てが届くっていう。

いつか)うん

たるい)あと、「「あか」るく」と「干「上が」って」と「「あな」た」と「「わた」し」の母音が全部「a a」なのもいいね。

いつか)頭韻

たるい)この「a a」が57577の文節とずれて入ってるのがすごく気持ちがいいんだけど

いつか)なるほどね。何かしらの距離がすごくあるよね。干上がって届くことにより

たるい)そうだね

いつか)物理的な距離なのか、次元的な距離なのか何なのかよくわかんないけど。僕田舎育ちだからさ、「干上がって」って、カエルとか、カラカラになっちゃった生き物に対して使うイメージがあって。言葉というものから私がこう抜けてしまってる、というかカエルから魂が飛んでしまった、みたいな感じなんだろうねだから。

たるい)なんか、この歌集はやっぱりちょっと悲しいんだよな。なんか桃源郷から帰らなくてはいけない、消えなくてはいけないということを、全部は受け入れてない感じがする。物語のクライマックスってさ、大体「向こう側の世界」から帰ってくるわけだけれど、その「こっち側に帰ってこなくちゃいけない」っていうのを「世の中の理」として捉えるか「自らの選択」として捉えるかっていうところに結構物語の結末の違いって生まれると思っていて、この歌集では、受け入れてはいるんだけれどもでもちょっと悲しい、っていう感じを感じる。だから「わたしの「嫌いな」桃源郷」なんだと思う。

いつか)なるほどね

たるい)そうそうそうそう。消えていった最後の歌は「熱いお茶がからだの中でまだ熱い そう? あなたは琥珀色の夢でした」って終わるんだよ。結局、あなたは夢だった。琥珀色の夢だった、って終わる。

いつか)なんか、温度とか水分とかがこの歌集の世界を繋いでるね

たるい)確かにな。温度とか水分。

いつか)うん。

たるい)確かに。ちょっとそれに注目してもう一回読む。ありがとうございました。


今回の歌
さいごには言葉あかるく干上がってあなたにわたしのすべてが届く
/初谷むい『わたしの嫌いな桃源郷』(書肆侃侃房)


前回記事
刻々と涼しい夜に迫られてレモン電池のすっぱいひかり
/鈴木ジェロニモ『晴れていたら絶景』


ポットキャスト「たるいといつかのとりあえずまあ」
作家の垂井真とオーケストラ奏者(Vn)の山本佳輝(ラジオネーム:いつかのコシヒカリ)。東京藝術大学で出会った1997年1月31日生まれのふたりが、お互いの活動の近況や面白かったコンテンツの紹介などを通して、今世をとりあえずまあ楽しもうとしてる番組


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