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長男だけが

朝は「未知との遭遇」を観た。科学のスペシャリストたちが試みる異星人との交流が大筋でありながら、そこに偶然居合わせた「一般人」にフォーカスが当たっていて、休日に映画を観にくるであろう「一般の家族」の父親が持っている少年心や、母親が持っている子供への愛情や、子供が持っている大人たちにはまるでわからない繊細な感情の波、全てに映画はフィットしていて、ちょっと嫌な見方ではあるけれど、これはさぞヒットしたんだろうなあと思った。中でも、父親が異星人のことで頭がいっぱいになっているのを観て母親が狂い出した時、長男だけが母の様子を見て音もなく涙を流していて、見入った。母親の苦しみはまるで感覚を共有する近未来ゲームのアバターみたいに、痛いほど子供には刺さるもので、それが意味もわからず涙を溢れさせてしまう。母親が正しいだとか、同情できるとか、そういうものとは全く別に、システムとしての生理的現象がそこにはある。

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