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5月の日記-アリス・マンローが亡くなった

0509
3月末に撮影したスタジオライブの編集をガーっとやる。出演してくれたのはセリザワヒナタさん。When I was youngという曲がわたしは特別好きだ。2番のサビ前「憧れはずっと鮮やかだ 体が疲れるくらい」聞くたびに痺れる。
これは今回に限らずだけれど、編集でカットのタイミングをフレーム単位で調節したり、カラーグレーションをああでもないこうでもないと考えたりしていると、画面に映っている対象に特別な感情が芽生えてくる。「最高じゃないか」としみじみ呟いたり、逆に、「なんでこここう動いちゃうの!」と叫んだりする(こっちだけの都合で)。編集は恋に似ていると思う。わたしは編集に恋をしている。恋をしにいっている?のかもしれない。思うに、編集に限らず、何かを作るという過程の中に、いつもどこかでそういった恋のようなものがあって、それが大きな推進力になっているんだと思う。

0510
仕事ですんごいミスをしたけどみんな優しかった、けどそれはもうすんごいミスだった。「いや、もう、ありえないです、ほんと、ごめんなさい」と自分を責めるけれど、その時間こそ無駄な気もして周りの沈黙の中でがむしゃらに各所に謝罪とリスケの電話をしたりする。
東京での仕事だったから、終わった後東京勤務の時にずっと行っていたパスタ屋さんに行った。もーなんか、めちゃくちゃに美味かった。

0511
すごい長い時間(往復7時間くらい)車に乗る。高速道路で助手席の窓をわずかに開けて、ceroのアルバムe oを聴く。気持ちよかったけれど2周しても景色が変わらなくって流石に聴くものをかえた。サービスエリアに降り立つ。なんだか少し浮き立ってしまう。SA、非日常のわかりやすい形。

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セリザワヒナタさんのスタジオライブが無事に公開される。早速たくさんの高評価とコメントがつく。本当にセリザワさんは魅力的だし、この日は天気も良かったし、メンバーも収録に慣れていたし、わたしも度胸がついていたし、良い感じになったと思う。もっと、みんな見てくれて良いのに、の気持ちでわたし自身何回も見る。

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新しいラジオをとる。ゴールデンウィークのことを話した。なんかさ、全然何にもなかったような気がするんだけど、ラジオで話したり、あとは例えばここに日記として書いたりすると、結構色々あるもんなんだよね。日常にとっかかりを作らなさすぎる。感情の揺れが年々小さくなっているのだと思う。まあ、もちろん、だからこそここに書き留めていくことで、その感情を丁寧に感じ直すことが大切になってくるのかもしれない。

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台湾のお土産をくれた人に「台湾はどうだったんですか」というと目を細めて、「まがいものばっかあったよ」と呟くので「なんですかそれ、めちゃいいな」と笑った。でも楽しかったっぽくて良かった。海外なあ、行きたいかなあ、生活のペースが乱れそうだよね。それなら国内の一泊二日の小旅行にしたい。温泉があってさ、そこからあがったら布団に寝転びながら次の日の予定を決めてさ、それで、ぎゅうぎゅうに詰まった予定から一個を減らす。暇な旅行がしたい。

0515
アリス・マンローが亡くなった。わたしが美しい文章と思うとき、真っ先に頭に浮かぶ人だった(それは翻訳のおかげも多大にあるのだろう)。アリス・マンローを読んでいる時間は特別だった。ページを捲る手が自然とゆっくりになる。世界が静謐さに浸っていくような気がした。わたしはまだ読んでいないアリス・マンローの新潮社クレスト・ブックスを、この先数年で多分一冊ゆっくりと読んで、その後数年の間にまだ買っていないアリス・マンローの新潮社クレスト・ブックスを買うのだろうと思う。ごくたまに再会する尊敬している親戚のような、静かで、過不足ない、丁寧で品のある言葉を使う人だった。わたしはこれからの人生でもずっと、アリス・マンローと出会い続けていく。


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