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毒や矛盾

友達から借りたパトレイバー2を観る。押井守を複数の人からおすすめされていて、ここが人生で触れる時なんだろうなあ、とか思いながら観る。パトレイバーをそもそも知らないので、2だけ観てもぶっちゃけ前提がよくわからなかったのだけれど、最近地方に引っ越すことが決まって「東京のネオンがなんだかんだ好きになってしまっている…」と気がついていたわたしにとっては、高速道路のネオンだとか、全体から漂う「都会」のなんていうんだろう、どうしようもなさというか、毒や矛盾を孕んだままその中で生きることの一種の諦めというか、そういったものがたまらなかった。

都会のあかりが好きなのはなんでなんだろう。「風の谷のナウシカ」で(漫画版の方)、腐海の毒が小さなマスク一つで済んでいるのは人類が既に毒で汚れているから、っていう話になっていて、なんだか結局そういう部分があるように思う。上手く言語化できないけれど、「都会のあかり」が愛おしくなってしまうわたしに棲まう、ある見地から見たら「毒」でしかない感覚が、もうどうしようもないほどに否定できない。そう、そのどうしようもなさが押井守のフェチズムにはあるように感じた。そういえばテレビかなんかで「アニメーションは呪われた夢なんです」という言葉と共に飛行機を描いていた宮崎駿もまた、なんとなくおんなじような事を言っていたのかもしれない。

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