見出し画像

それでもちゃんと少しずつ

1024
仕事のあと、冬着を買いにカーシェアを使ってイオンモールへ行く。東京とはなんだか種類の違う寒さが朝夜に訪れるので、年末に仕方なく泊まることになった安いホテルにずっといるような感じがして、何よりも早く暖を取ることを優先する必要を感じた次第である。痩せた熊みたいにみえるモコモコの寝巻きだったりとか、厚手の上着を買う。帰る前にレストランコーナーにあった大戸屋に入って、「もろみチキンの彩りサラダボウル」を頼む。ごろっとしたパプリカやブロッコリーを頬張ると口の中に「潤い」みたいなのが溢れてくる感じがする。「あ〜〜」と思いながらあっという間に食べてしまう。近所の定食屋、いい加減開拓しないといけない。この間甲府へ来た日本に住むオーストリア人の知り合いがいってたな。「知らない土地に来たんなら、思いっきりアドベンチャーしないと、ウジウジしてちゃだーめだよぉ」。本当にその通りなんだと思う。

1025
夜に眠れなくて自分が暴走している感じがあって、「やり過ごす」ための手段として、ゲームをしようと思い立ち、久しぶりにSwitchを触る。やっていたRPGゲームの中途半端なところで終わっているデータがあって、一旦物語を進めるのをやめて村へ戻り、住民たちの話を聞くことにした。そこにも実は色んなイベントが潜んでいて、夫婦喧嘩を盗み聞きしたり、腹筋を頑張りたい男の子のために薬を調合してあげたり、人間になりたい悪魔の世話をしたりした。何事も「早く進めたい」と思うと溢れてしまうものってたくさんあるな、とふと思う。けれど味わっているばかりでも飽きてしまうのがわたしなら、時折こうやって振り返れば良いなと思った。そういう類の充実でもって、このどうしようもない秋口の夜をやり過ごしていけたらいい。

1026
人と一緒に作っている曲があって、本当に長い間しっくりこなかった歌詞を書き上げることができた。よすがになっていた思いつきに肉付けするように歌詞を書いていくことが多いのだけれど、「これで出来上がった」と思うときの最後の一手間がその「よすが」の言葉を無くすことだった、というケースがままあって、今回もそれだった。
支え木になっていたそれに最初の頃は頼りっきりで、それでもだんだんと性格や、向かいたい方向が決まって行ったとき、そこから少しずつずれていって、というか、自律していって、最終的にいなくなった方が自由になっていく。
なんだかなあ、とぼーっとつらつら考えて、わたしも親になって子供を育てていくのかなあ、きっとそいつも大人になって、いずれ1人で暮らしていくんだろうな、とか思った。

1027
思い返せばわたしの出来ることというか、したいことというか、していることってのはずっと「感じたものを言葉にする」ってことだけだったから、その営為にもっと自覚的に、丁寧になりたくって、読んだ本や音楽や映画とかについて、感じたことを言葉にするだけのラジオをはじめることにした。だれも聞かなくっていいから、と思ってはじめたのに、ストーリーに上げたら早速友人から「めちゃいいね」と来る。わたしがわたしであるために言葉にしている数々のものが、関係性の一部になっていく。少なくともそれの火花はぱちっぱちっとなっているんだ。みんなに見てもらうって気持ちが得意なわけではないのだけれど、それでも、その火花が少しずつ温度をもった火へと変わっていけばいい。(ラジオこの記事の最後にリンクあります)

1028
電気毛布を買ってうずくまりながらアニメをみたりした。帰りは人が週末こっちにくるから、練習でまた車に乗った。山を下るので、運転のモードを細かく切り替えながらその度に「天才…?」とか言いながら運転する。街明かりが嘘みたいに綺麗だけれど、眺める暇もなくって、「はい次〜〜〜…天才…?はいまた来ましたよ〜〜…天才?」なんていう独り言を繰り返しながら、まぁ、助手席に座る人はこの夜景を見ることが出来るのだから、思えばそれでいいよな充分、とか思ったりした。

1029
山梨県を案内、はしてないけれど、初めて東京から人がこっちに来てくれるという事態になり、「さて、と」と腕まくりをして車に乗ってもらって、甲府の街を眺められる場所にいって、それから、人生初ドライブスルーを成功させ、マックを買って、そのあとたくさんアニメを観て、寝た。
意外と安心して車を運転することが出来た。これってすごいことだった。大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、「じぶんで無理だと思っていたことでも、誰かとの関係のためであれば可能である」ということが示されたような気がした。自分の内側に籠るのではなく、関係性の中で生きていければ、人生は少しずつ変わりゆくわたしに驚いたり、嫌いになったり、尊敬できるようになったり、愉しい変化の中で進んでいくのではないか、そういう、ありきたりにいえば「希望」みたいなものが芽生えた。苦手すぎて生理的嫌悪感で一杯だった教習所の自分に教えてあげたい。
君は5年くらい経ってから隣に人をのせて、無理だと思われていた下り坂を(「デスドライブの始まりだ〜!」とかはしゃぎながら)意外と冷静に下っていくことができる。綺麗に揺れていた街明かりはだんだんと眺めるものではなくなっていって、その最中へと心地よい速度で走り込んでいく。スマートに生きることは叶わなくって、ずっと予防線を張るような性根の小ささはまだ変わっていないけれど、それでもちゃんと少しずつ、やっていけるようになっているよ、って。

1030
山梨県北杜市のオオムラサキセンターというのに行った。小さい頃行ったことがあるらしいけれど、よく覚えていなかった。昆虫大好きなわたしもちょっと引くくらいの昆虫があって、図鑑で沢山見たものから、知らなかった虫まで沢山いた。北杜市からは霧がかった山並が夕焼けでぼんやりとした嘘みたいにみえて、車の激しいところで「すみません」とか思いながら何枚か写真を撮った。

あっという間に土日が終わってしまった。「日曜日の夜が怖い」とDMしていた友だちからメッセージが届く。分かる〜と思いながら、返信する。ぼうっとアニメをみて、ピアノを少し弾いて、眠くてたまらなくなって、寝る。何回も「少しずつ」という言葉をこの日記で書いているのは、多分実感もあるけれど、願いでもある。ひとりになった途端どうしようもなくなってしまうように思えるわたしが、どうにか少しずつ、良い方に向かっているのだという、おまじないのようなものでもあるのだ、多分。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?