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結晶を守る木々

夜に何年振りかの大学の人とあって、その人についていって朝まで飲んだ。人生で一番というほど飲んだ気がする。数年前だったらアレルギー症状のように退散していた「飲みのノリ」みたいなものも、それなりに面白く楽しんで、多分昔の自分が今のわたしをみたら「おいおい信念はどこ行ったのよ」みたいなことを思うだろう。信念?みたいな強い言葉は今の自分の中に浮いてこないけれど、それでも自分の思いやひとりでいるときの感覚を昔より、心の奥底に留めておける力がついたのだと思う。ラピュタ内部の飛行石の結晶を守る木々が年月と共に生い茂っていくみたいに。

ひとつのポイントは「自分の話をしないこと」である。もうひとつは全て「短歌や日記や歌や物語になる風景」だと自覚することだ。オードリーのオールナイトニッポンでフリートークを見つけるためにわざと変なところに行ったりすると若林が言っていて、ちょっと似ている。わたしはある程度の状況を感覚を奥底に潜め、短歌や日記になると思って楽しむことができるようになった。ふとした瞬間に目を見開けば、最早風刺的ですらある「えんとつ町のプペル」のテーマ曲がカラオケで歌われている店内で、カウンターの奥ではバンドマン達がちょうどここから聞こえないくらいの音量で盛り上がってウイスキーをお代わりしていて、その後ろの窓からは終電を終えたホームを点検する駅員が米粒ほどの大きさで歩くのが見え、目の前には久しぶりに会ってずっと可愛くなった友人の、やさしく笑う目尻と上にあがる睫毛がキラキラとしているのが見えた。そうした瞬間は、それなりにとても、とても。

朝、最寄駅に向かう車両にわたし以外の人影はなく、ぐるぐる回る意識の中で写真を撮った。写真よりもずっと白んだ朝だった。

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