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才能があるんだから

異動で地方に行くことが公に決まって、去年お世話になった上司から、「地方で好きなことバンバンやってきなよ、君には才能があるんだから」と言われる。「そんなこと言ってくれるの〇〇さんだけですよ」と返す。
「才能」については、ぐるぐると考え続けてきてはいて、結局のところ「習慣」であったり「生活」であったり、「継続」であったり、そういう概念の中に包含されるものだなぁとなんとなく勘づいてきている部分があって、だからこう、「才能がある」という言葉は乱雑ではしたない気もする。

けれどなんでだろう、心のどこかではまだ、高校のクラスメイトに持っていたどろどろの感情、彼にあるものがわたしにはないと妬み嫉み、そして打ちひしがれてしまう瞬間や、もうどうしょうもないなわたしは、と思う瞬間って今もなおあって、「才能あるなしなんて日々の営為に関わりがない」と思えない夜が来たりする。そんな時、わたしは人生で出会ったいくつかの人の言葉や、手紙に書かれたわたしへの「才能」だったりとかそういった言葉たちを砂金のように集めて、抱きしめるほかなくなる。

「才能があるから」という理由だけでは何かを作っていくことができないけれど、でも「自分には才能がない」と思い過ぎた夜には、だれかの「君には才能がある」という乱雑なはしたなさに心を救われたりもする。
いや、わたしに才能はないさ。けれど才能があると言われて確かに嬉しい。生まれてきてよかったとはどうしても思えないけれど、「君がいて良かった」と言われて意図せず涙が溢れていくように。

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