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かたちを一旦横に置いて/12月の日記

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年内最後に会社に行く日だった。締切が12月末までの事務作業を終わらせたら、「栄えある提出第一号です。おめでとうございます」とチャットがきて柄にもなくいい気分になる。明確に仕事は今、辛いこともあるけれど成長できている感じがして、少なくとも後何年かは続けていけそうな気がしている。多分当たり前のように逃げ出したくなったり辞めたくなったり、精神的な不調をきたしたりもするのだろうけれど、それはどこに居たって起こる類のわたしの性質だから、20代を生き抜いていく上でここじゃない何処か、なんて思う必要はもうないのだなとなんとなく思う。お疲れでした〜と小声でいって挨拶とかもせずに仕事場を出る。そんなちゃんと出来やしないわたしをもう、わたしは全力で許しにかかる準備ができている。

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インド映画RRRを観る。音楽がとにかく良く、また、インド映画ならではの「笑える格好良さ」というものがあり、爽快感が体を駆け抜けた一方で、これが2022の映画かよ、と感じるような、差別的で、主観的な映画でもあり、そんな映画が評価を受けたり途方もない製作費で作られたりしているという現象を、淡々と見定めていくような時間でもあって、終わったあとはどっと疲れてしまった。
家で風呂に入っているとき、劇場で何度も聞いたリズムが頭から離れなくてシャワーを振り回しながら体を流した。寝つきだけはよかった。

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映画「そばかす」を観た。冒頭あたりのシーンで、主人公が家族の前でヘラヘラとやり過ごし、部屋に帰った途端大きなため息をついているのをみて、これはわたしだと思った。わたしは両親のことが嫌いではないけれど、一方で話を聞いているだけで疲れてしまうところがあって、昔は「ほんとうに全然噛み合わないな」しかなかった。今もそうだけれど、それでも噛み合わせるというかヘラヘラと合わせることはできるし、その努力を惜しまないのは間違いなくわたしが両親のことが嫌いには絶対になれないからだと思う。
「そばかす」の主人公もそんな感じで、最後の方で祖母と母と3人でなんてことないことでクスクス笑い合うシーンがあって、自然に涙が出てしまった。

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映画「さかなのこ」を観て、映画全部を抱きしめたくなった。特にヤンキーたちがたまんなかった。おかしな趣味を持っていたり、何かに熱中しすぎてしまっている人を「気持ち悪い」と一蹴するのではなく、あるいは、無関心のままで留まるのでもなく、自分のかたちを一旦横に置いて「何それ面白そうじゃん」と関わりを持とうとする姿勢はそれ自体ひとつの美徳だし、救いだと思う。その後「自分のかたちとは合わないな」って、離れていってしまって全然いいのだ、そういう話ではなくって、最初、最初に「面白そうだね」って言ってくれるだけで、その人の切実な「大好き」はあったかく守られていく。

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小学校の同級生と1時半くらいまで夜のピクニックをした。一人が寝袋やらスープやら何から何までを持ってきてくれたおかげで、なんだか快適で、5年ぶりくらいに会う人から美味しいお酒の話を聞いたり、仕事の話を聞いた。
覚えていないいくつかの出来事の話になった。それぞれの記憶の引っかかりはやはり違うのだなとわかる。わたしはその頃好きな人を結構周りに言っていたらしい。

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終わっていない作業があって吉祥寺の喫茶店をはしごした。休日は居場所がなくて喫茶店はしごばかりやっていたから、思い出の地巡りのようになる。年が明けること自体よりも、年末年始という期間がとてもいい。世間が静かになって、SNSでは友人の今年の活動なんかを知ることができて、テレビはどれも面白くって、わたしは成し遂げられなさそうな「来年の抱負」みたいなものを、ふとした時にぼーっと考えてはいつわりの活力を愛でている。

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