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わたしはわたしの歪さを孕んでいる


人を鼓舞するのではなく、緩める方が性に合っていて、小山田壮平じゃないけれど「何にも考えなくていいよ」って伝える方が好みだ。けれどそれを自分にやり過ぎてしまうと、やはりどこか停滞が起きて、毎日はより鬱々しくなってしまう。

あ、それでいうと、頑張るというよりも、個々人にあった形で「気が狂っていく」というのが大切かもしれないなとか思う。人が社会で「その人として」役割を果たす時、形の歪さが不可欠になる。「なんでそんなことができるのか」と他人に言われるような気の狂い方。それが世の中にとって良い方向に向いている時、多分人はそれをみてそれこそ才能とかいうのだろうし、消えない活力の一つになるように思う。

気を抜くとすぐ「いやでも普通に考えたらさ」という比較の軸が生まれるけれど、普通である以前に、わたしはわたしの歪さを孕んでいる。

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