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氷板のようなリビングの底

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ポケットモンスタースカーレットを楽しんでやっている。操作する主人公の名前を自分にしたのが良かったかもしれない。ゲームの主人公、一時期は、性別を変えてみたりラジオネームみたいな名前にしてみたり色々としていたけれど、多分わたしにとっては単純に「もしかしたらこんな世界が」という可能性を味わうものとしてゲームは楽しいのであるようで、ならば主人公は「自分」なのが最も自然なのだった。
ポケモンは6匹のポケモンを「手持ち」として旅をする。旅(ストーリー)が終わって世界の人とバトルするフェイズに入ると手持ちはそのまま戦略になっていくから、ストーリーを進めるポケモンたちを特権的に旅パーティー、通称"旅パ"と呼んだりするのだけれど、その旅パに選ぶポケモンも、主人公がわたしだと中々真剣だ。
集まった6匹はどれも、何よりも「頼りになる」と感じたポケモンたちで、そうか、わたしは、いざというときに頼りに出来て「このこがいたから成し遂げることができた」と思えるようなやつと一緒に世界を歩きたいのだと思い知る。なんだか普通の感覚みたいだけれど、単純な強さだったりとか、あるいは可愛さだったり、便利さとはまた違う「信頼」が関係を選ぶ基準になっていると分かったような気がして、面白い。

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タイ料理をひとと食べる。お酒の銘柄に詳しかったりテーブルマナーが気品だっていたりというのも良いが、タイ料理を細かく知っているというのは特別格好いいかもしれないと思う。店によっては日本人向けのメニュー名が書いてあったりするけれど、大体は名前から料理が想像できないので、いつもカオマンガイかパッタイに行ってまう。
そういえば、もしかしたら誰も入れるまいと決めていた一人暮らしの部屋に人が来てくれるかもしれなくって、改めて部屋を「人が往来する場所」として見ると、地べたに立てているテレビも、ご飯を食べているピアノ椅子も、氷板のようなリビングの床も、驚愕するほど人間味がない。ラグ欲しいな。あとクッション、こたつがあったら最強よね。あとは白々しい照明もなんとかしたい。。。

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人とポケモンをする。意味がわからないくらい楽しい。一緒に景色や街を見ながら冒険することができる。山梨に住んでいる寂しさの一切を忘れて没頭してしまう。わたしが「こんな風になれたら」と幼い頃に思ってきた先人たちを見ると誰もが孤独なようで、なんだか一人でいることがそのまま何かを作る条件みたいに思ったりしていて、それは多分、ある点からみれば間違ってはいないのだろう。それでも、「寂しいなあ」という感情はしっかりと認めてあげないといけないな。その上で、例えばその紛らわせ方だったりとか、暖め方だったりとか、そういうものの中に何かを作るということが生まれてくるのかもしれないと思ったり。
美しい景色を一緒にみた人が発する言葉が自分との感覚の違いを露呈させるようで怖いときがある。けれども、「共有したい」という思いだけは確かにあって、それが音楽家や作家がよく言うその「解釈は自由です」という距離感なのかもしれない。とか思いながら、「めちゃくちゃ綺麗ですよね、ハッコウシティ」とアイフォンの向こうへ叫んでいた。

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会社の仲のいい(一応)先輩と(ちゃんとした)上司と飲みに行く。ちょっと話すべきではなかったという所まで話してしまったような気がする。10時半だと思ったら12時になっている。帰り、自転車を会社に置いてきてしまったことに気がついたけれど、めんどくさくなってとりにいくのをやめた。
わたしと同じか少し下くらいの若者が絶対寒いのにまだ公園であぐらをかいて喋っている。この街は本当に退屈なのだろう。日常の中で見えてくる若い男たちは、だらけきったパーカーと不器用な色欲をまとって、からかうような女性たちを定型文みたいに見送っている。全部ひっくるめてこれが、これがか。と思う。
東京・あるいは上京をテーマにした沢山の曲が、東京にいた時よりももっと複雑な色合いを持って聴こえてくる。

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しごとで新潟に行く。新潟に行くには東京を経由する必要があり、昼頃でたのに新潟についたのは日がどっぷり暮れたころで、腰が痛かった。
新潟は甲府とは比べ物にならないほど都会だったが、道が広くて、なんだか寂しいというより厳しい感じがした。仕事で来たし、絶対「何食べた」って話になるな、と思って、新潟三昧というメニューを食べた。あぶらあげが「ぱり」と「くしゃ」の中間みたいな音を立てて、おいしかった。
ドーミーインにとまって、露天風呂に入った。小さい頃大人は温泉ばかり行きたがるなあ、とか思っていたけれど、足先が冷えて寒いってのが毎日の大きな悩みになっていて、だから全身がお湯につかるなんて、なんて贅沢なのだろう。と感動する。指の隙間まで、小指の甘皮までほっかほかにしてやろうと、じっくりじっくり入った。

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しごとに疲れて終わり次第抜け出して餃子とチャーハンを頼む。恋人に写真を送ったら「天才なんですか」と返信がきて「そうなのだよ」と偉そうになる。宿に帰ってもうすぐ出るリリースのプロモーション映像の編集をする。
「ああ、上手くいった」という糸口がぱっとみえる感じではなくって、泥臭く一つずつ改善していく中で徐々にみえてくるようなそんな感じで、それからも逃げ出したくなってまたじっくりじっくりとお湯につかった。家の近くの銭湯を探そうとつよく思う。

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新潟から甲府へ帰る。特急電車に乗っていたら、灰色のパーカーを着た少年が野原の真ん中でポツリと野焼きをしていた。手には二股に分かれた枝を持っていて、ぼんやりと炎の出るところを眺めていて、ふと、わたしは漫画で読んだ葬式のシーンを思い出す。
山梨県に入ってしばらくすると、アパートの一区切りに靴下のように干されている6個くらいの柿が目に入る。干し始めたのは10月末から11月ごろだろう。肩を削ぎ落として吊るしやすいようにする。どうしてこんなことまで知っているのだろう。わたしは多分内側の方からも山梨に染まりつつあって、自分的には結構なんだか人が変わったような気さえする。
思えば、自分が特権的に好きな、というか共感したり影響みたいなものを受けたりしている、坂口恭平さんだとかくどうれいんさんだとか高木正勝さんだとか、みんな田舎で暮らしているのよね。それってなんか、最近の心持ちがすこぶるいい一つのヒントのような気がする。

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