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生活の細やかな綻び

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山奥のダム湖付近に仕事で行った。仕事が終わって帰ろうというとき、「ダムカードとってきたら」と一緒に来た人に言われる。「ダ、ダムカードですか。え、気になります」と管理所みたいなところにダッシュで向かったら、そこには箱に「一人一枚まで!」と納められたダムカードなるものがあって、なんでも山梨県内全八箇所で手に入るらしかった。
わたしのダムカードのために車の出発を遅らせてもらっていたので「やた〜〜ありました!!」と駆け足で戻ると、「え、何、あったの、え、俺も欲しいかも」と教えてくれた人もダムカードを取りに行った。いや持ってなかったんかい。
設置した人はどんな気持ちだったのだろう。地域活性化というか、それを機にダムへ訪れてくれる人が増えたら、みたいなことか(でもダムには飲食店とかないのだけれど)、あるいはひょんな思いつきで作りましょうよ〜って感じなのか。そこがシリアスだったり切実かどうか、みたいなことは分からないけれど、少なくともわたしたちの仕事の戻りはダムカードのおかげで10分くらい遅れた。んで、その10分の言い訳としては、「ダムカード取りに行ってました」なんて、これ以上のことはないくらい滑稽な感じがする。その肯定的な滑稽を作ってくれた感謝はいつか伝えたい。
何より、わたしのダムカードコレクションは始まったばかりである。

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当たり前のことかもしれないけれど、なかなか住んでいる所を綺麗にしておくというのはそれだけで難しいことなのだと、一人暮らしをしてから如実にわかってきた。放っておくと排水溝に髪は詰まるし、ゴミは溜まっていくし、脱ぎ捨てたシャツはすぐにジャングル奥地みたいになるし、フローリングや加湿器や、座布団やスリッパやダウンコートや、プラを入れるようのゴミ箱やガムテープやトースターや、足りないものだってキリがなく、そしてそれらを順調に揃えていくことすら億劫になるくらい毎日はぐるぐると忙しなく進んでいて、けれどそれに歯止めをかけてしまうとそれこそ生活が根底から崩れ出してしまう、という。
実家暮らしが恵まれていることの例によく「食」が出てくるけれど、多分本当のところはもっと細部にあって、両親は生活の細やかな綻びを整えていきながら暮らしていたのだと感じる。それこそ職人の道具が毎日手入れしているからこそ自らの手に馴染んでいくように、家もまた、丁寧に整えてはじめておそらく、「居心地の良さ」みたいなものが生まれてくるのだろう。今のところそれをするためには毎日や精神が慌ただしすぎて困る。お金もなっかなかないし。

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12月の頭に朗読や歌を人前で披露することになって、その練習をする。肝っ玉の小ささを自分で呪いたくなる。しっかりとというよりしっとりと、自信をつけていきたい。こう、「ガチっ」って感じの自信ではなくって、サラサラとしていて、いざという時には無くすこともできるけれども、しがみつくもののない不安の時には、しっかりとした形を持ってよすがになってくれるような。そういう自信が、毎日の生活で嘘をつかないことからくるのか、精神的な鍛錬からくるのか、丁寧な暮らしから来るのか、いまいち分からないけれど、「あんた自信を持っていい人だよ」ってわたしがわたしに説得するのは諦めないようにしようとかは思ったりしている。全然耳を貸してくれないんだけれど、大丈夫だよっていつも言ってる。

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仕事に疲れて久しぶりにタバコを吸う。近くのファミリーマートがファミリーマートというのにタバコ類がとても充実していて、ブラックデビルという甘いタバコを買って吸う。煙を吐くときにため息も一緒に吐くことができるのがタバコのすごいところで、「ふぅ〜」って感じが非常に体にあってむしゃくしゃとした感じが綺麗に去っていって「すご」となった。
タバコを普段吸うときがあるとすれば友達といる時で、それでいうとお酒もスイーツも高いご飯もそうだったりして、人間って「関係性」で生きているんだなあとしみじみする。そう、最近は友達と会わなくなったから、全然吸ってなかったのだ。

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歓迎会をしてくれる。コース料理で、絶対にこれがメインだろ、と思っていたすごいボリュームのスパゲッティの後にお肉がきて、向かいに座っていた仲のいい上司と「え、絶対次スイーツって思いましたよね?」と目配せをした。
大人数の飲み会、苦手だったけれどもうそんな年でもなくって、というか、やっぱり内外の使い分けみたいなものがあったから苦手だったんだろうなあとしみじみする。
でも、そういう使い分けが出来るってことは、「場合に応じての柔軟性」を持っているということだったりもして、それって「ああ、確かにあなたのいうことは一理あるな」っていう視点に繋がっていたのではないか。周りの言うことを聞かない大人になることを疎んでもいるから、使い分けをしなくなって「いつも同じ自分でいれる」ということが一概にプラスであるかは分からない。
けれど事実として、流れとして、少しずつ大丈夫になってきた。もちろん、一緒にいる人がよかったって言うのはあるのだろうけれど、けれど、大人数でいても、自分のままで少しずつ入れるようになってきた。それは確かだ。

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12月の頭に行うことになったイベントに向けて写真を撮ってもらう。あてもなく東京の左っ側の方を歩く。降りたことない街の喫茶「ゆーもあ」で日替わり定食を頼んだら味噌汁とひっさしぶりに食べたアジフライが美味しくって「いや、フライにするなら最強はアジフライだよね」というと「白身魚もいいですよね」と言われ「白身魚、最高だわ」と返し「あれ、最強…?」となって2人で笑う。

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大きなプロジェクトが終盤に差し掛かる。長かったが「終わらないプロジェクトはない」ということを学ぶ。思いかえすとかなりターニングポイントとなった企画で、「諦めなければわたしはわたしの言葉をちゃんと書くことができる」という自信のようなものが芽生えた記念すべきものとなった。年末には公開される。なんだかんだ少しずつ、進んでいるのかは分からないけれど、ものを作ることが出来ていて辛うじて生きていることが保たれているというような、そんな感じで。

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