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自粛レベル合戦をしない

ある日、以前住んでいた街に住んでいる知り合いとメッセージのやり取りをしている中で、その街にあるパスタ屋さんの話で盛り上がった。美味しいお店だったし、こちらでは食べられないことを残念がりながら念のため調べてみたところ、ショップがごくうちの近所にあることを知った。そのショップでレトルト品やドレッシングなどが販売されていることを知った私は、最近の数少ない外出の楽しみである食材の買い出し&散歩ついでに行ってみようと決めた。

早速翌日、そのショップが入っているショッピングビルへ足を運んだところ、午後だというのに入り口にシャッターがかかっている。そこに貼られたポスターによると、前日に従業員の中で感染者が出たために臨時休業をするとのこと・・・。個人的に、このショッピングビルは緊急事態宣言以後も行ける、スーパーや公園以外の憩いの場の一つであっただけに、ショックであった。(食料品街以外は休業中。)幸い、翌日からはオープンするとのことだったので、今回は1日の我慢で済むことなので騒ぐほどのことではない。とはいえ、コロナが確実に自分の身近に迫ってきていることを実感する出来事であった。

新型コロナウイルスとの戦いは、日本だけでなく世界的なものであり、歴史上、こんなにも世界中で共通の敵と戦ったことはあるだろうか、みたいな論が比較的ポジティブな文脈の中で書かれていることを何度か目にした。私も、早い段階からそのように思っていたし、戦争のように敵味方で攻め合う事に比べれば、様々な知見を共有しあったり、自国のために頑張ることが他国のためになるという構図は、国家間の関係性としては悪くないと思う。もちろん、感染拡大における中国の責任追及をしようとしているアメリカのような国もあるし、マスクなどの物資の奪い合いも起こっているわけだから、ネガティブな要素も多分にあるだろうが。

一方で、このような事態についての受け止め方や、自粛の徹底度については、当然ながら同じ国に住んでいようとも、個人差はある。私の周りには、3月上旬の時点で外食の誘いを「コロナが怖いから」という理由で断った人もいれば、4月に入ってから旅行に行った人もいる。また、不要不急ではないかと思われる外出をしている人だっていまだいるだろう。私だって、これまでの行動履歴を包み隠さずに検証されたら、不要不急なことがいくつか紛れていることを否定はできない。医療現場で闘う人たち、そして他の病のために医療サービスを継続的に受けなければならない人たちの切実さや不安を思うと、自分の不要不急な行動を責められても文句は言えない。そして、私以上に自由な行動をしている人たちには、できれば彼らのことをもっと自分ごととして考えて欲しいと思う。

ただ前提として、自粛度合いについて個人差が生じてしまうことは避けられない。ある行動の重要性・緊急性は人それぞれ違うし、また、外出の際にどれくらい感染予防対策をしていたかも違うだろう。さらに言えば、あまり人と接していない、綺麗好きな方、という方で感染した例だってあるため、感染リスクの高い行動量と感染率割合に、どこまで相関があるかは不明だ。

人は、自分に余裕があれば他人に寛容になれるが、そうでないと厳しい目を向けがちである。特に、自分に影響があったり、関係のある分野に関しては批判的になるだろう。コロナに関して言えば、命にも経済全体にも関わる事態であるため、より切実で厳しい目を注ぎがちである。特に、自分がコロナのことで自由を強いられていることを再認識したとき、日々感染者が増え続けることのは自由に行動している人たち(以前の論調で言えば活動的な若者たち)に大きな責任があると思い、責めたくなってしまう。彼らのせいでこの状況が長引くのだ、いい加減にしてくれ、と。

しかし、これは結構疲れる。人を責めると、結局自分に返ってくる。直接他者と言い合いになるわけでなく、心の中で責める心が生まれる場合も似たようなもので、ではこのような自粛生活をいつまで続けられるのかなんて誰にもわからない。どこかで、「もうこれ以上我慢できないから不要不急の外出をしたい!そうしないと気が狂う!!」と思ってしまう時がくるのかもしれない。それで感染するかもしれないし、感染させるかもしれないし、何も起こらない(ように見える)かもしれない。いずれにせよ、その時の行動の切実さは、確かに人に説明しようがない。

だから、自粛レベルは人それぞれであることを受け入れることが大切だ。もちろん、個人の行動の総和が国家の動向を決めるだろうから、国民一人一人がStayHomeを心がけるべしと言うのはその通りだと言える。できるかぎりそうすることが重要なことに変わりはない。しかし、それでもはみ出しものは出てくるだろうし、楽観視する人は出てくるし、「俺はコロナだ」と人を混乱させようとする人も時には出てくるだろう。もしより厳しいレベルでそれを防ぐには、諸外国のロックダウンのように罰則規定を設けないと厳しいだろう。どうして日本ではロックダウンができないのか、日本では政治的な意思決定プロセスがどのような傾向があり、なぜこんなに遅いのか、選挙に行かなかったことがそう言うことを加速さえていなかったのか。疑問に思うならそう言うことを考える必要もあるだろう。どちらにせよ、今この国にいるかぎり大切なことは、自分の精神衛生を保つためにも他者と自粛レベル合戦をしないこと、そして、できるなら自分よりも自粛レベルの低そうな人とは会わないことーーこの2つだろうか。

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