見出し画像

インドの神様

友人を助けるためにお金を稼がないといけない。

 というわけでYouTubeなどで「月〇円稼げる方法」などを見たりしてポイ活などいろんなことをしている。ク〇〇〇ワークスに登録して、ライターの仕事を探したり。
この間みていたら「神話の神様たちの相関図をつくってください」
という仕事があった。
神話と聞くとつい嬉しくなって、図書館に行き、神話関係の本を大量に借りてきて、インドの神様の相関図を作ってしまったのだが、
仕事にはしていない…。

 ハマってしまうとしばらくその世界にいてしまう自分なので、YouTubeでバガバットギーターなどを聞き流していたら、日本人の、インドの宗教をやっている人たちのチャンネルにあたって、しばらく聞いている。
まっすぐな、世界の人々の救いを願う言葉には、自然と涙が流れるし、心が癒される。

仏教の修行で、念正智という言葉があるのだそうだ。
自分の行いをずっと見つめ、正しいかどうか吟味すること、という風に理解して、自分でもやってみている。

そうするとわかってきたのは、
1 自分は怒り(苛立ち)が湧いてくることが多い。
2 小さな噓を言ってしまう癖がある
3 言ってもよいことをごまかして言わない癖がある
  ・うまく言えないので言わない
  ・言ったらいろいろ言われるので言わない(この癖がとても強い)

一人の人を助けようとするとき、言葉に力が必要だ。私の言葉が軽いのは、小さな嘘やごまかしがあるからではないか。例えば友人の前で電話した時、すごく恐縮してお願いして電話を切ってから、そんなに恐縮することではないけどね、と言ってしまうとか。
「色々言われるのを恐れて言わない」でいるその恐れが怒り(苛立ち)につながってしまうのではないか。心の中で勝手に、「色々言われるけどそれは違う、それしか方法が無いのだ」と周囲に対して怒り、苛立っている。

というようなことを考えている。

 友人と話していて思うのは、友人は常に「念正智」を行っているのではないか、ということ。どんなに頑張ってもうまくいかない、伝えたいことが伝わらない、そんなままならない自分の体。そんな中でいかに自分を見つめ、人に伝えようと努力してきたか、人に伝えること以外にも、どれだけの努力をしてこられたのかが友人と話していると伝わってくる。

もしかしたら、友人は前世で私の師匠だったのかもしれない。
(2022/03/08)

追記:ブッダとはヒンドゥー教で、「目覚めた人」という意味で、ヒンドゥー教は仏教の開祖ゴータマ・シッダールタ(ブッダ)もヒンドゥー教の神様の一人と捉えているそうだ。(2022/03/09)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?