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こぐま出産の記録

出産からひと月以上がたってしまいましたが…
破水したときに書き始めてから、ちびちびすきまをぬって書き連ねた出産レポを投稿です。

妊娠中の経過良好、ヨガをほぼ毎日、オイルを贈っていただいてからは会陰マッサージもしてみて…

初産だけど数時間ですぽん!な未来しか描いていなかったのに、入院から出産まで30時間かかったお話です。

産後の脳で、育児の合間をぬって書いたので、決して読みやすくはないと思いますが(そして意識を半分失っていた時期のことは、正確性はややかけるかと思いますが)書き直さない方が臨場感をお届けできるかと思いますのでこのまま投稿します。


7:30 破水
寝ていたら、下腹部からポコ!という音がした後、生理痛みたいなきゅうーーーという痛み&多めの日にどろりと出るときくらいの感覚

トイレにいくと、やや血のまざった感じのおりものよりサラサラしてそうな液体が…(パンティーライナーで受け止められる量)

これは、、破水なのか?と迷いながら、とりあえず大きめのナプキンつけておこうかと立ち上がったら、さらさらーと再び液体が流れる感覚

自分で止められない液体は破水!という妊婦向けアプリで読んだ情報を呼び起こし、これはどうやら破水らしい!とくまさまを起こす

さあ入院だ!と産褥ショーツ&産褥パッド装着

すぐ入院になるなら、と作って冷凍しておいたおにぎりをあたためてもぐもぐしながら、着替えなど
(楽なブラとかキャミとか選んだけど、診察して破水確定したらすぐパンツのみ&病院のパジャマにお着替えだった、いらない工夫だった)

8:00
おにぎり食べ終わって病院に電話
7時半頃破水した、と連絡したところ、何してるんだ!すぐ入院だ!と軽く怒られ、もう1つのおにぎりは持って行くことにして病院へ

9:00 病院到着

旦那さんはこちらで手続きを、と言われ、私は病室に行ってましょうかと言われ、これがそのままお別れに…
(ちゃんとバイバイしたかった…何かあったらあれが最期になり得るのか…危ないってなったらくまさまは呼んでもらえるのかしら…と思いながら入院)

そのまま陣痛室で入院スタート!

担当してくれた助産師さんが、とても素敵な方で、この人に担当してもらえるの嬉しいなあ、と安心

ただ「お産は明日かなー?がんばろうね」の一言に
明日??
まだ朝9時なんですけど、、、と衝撃を受ける

やや重めの生理痛くらいの痛みが時々やってきていたけど、10分以上間隔があったり、間隔が不規則だったりでまだ陣痛ではないねー!とのこと

分娩室に移動するまで、ここが私の拠点になるということで

食料を並べたり、スマホを充電したり、陣痛対策グッズを整理したり、産褥パッドをトイレに出しておいたり、お部屋を整える

痛みの波の間は、里帰り前に進めておきたい調整など、仕事の連絡をせっせと進めたり、

明日まで闘うなんて辛すぎる!と合間は歩き回ったり、ストレッチをしてみたり、お産が進みそうなことをしてみたり。

定期的に見にきてくれる助産師さんに「リラックスできてるねー!だからか、進みも良さそうだよ!」と言ってもらい、いえーい!という気持ち、笑

12:00 初めての病院食
想像より重めの病院食に驚きつつ、ここでのエネルギー補給が今後の進みに影響するのだ!とお米以外間食!

14:00 陣痛発来
声を出さずに我慢できるギリギリ!な痛みが10分間隔になってきて「陣痛発来」認定!

(いよいよだぜー!進め進めー!と喜んだのもつかの間、陣痛初来と聞いて来てくれたお医者さんに「これだけ余裕がある感じだとまだ陣痛じゃないかもだけどねー」とつぶやかれ

「そんなそんな、私けっこう痛みに鈍感だから(骨折に気づかずバスケの試合に出続けたり…)そう見えるだけでは…」と内心思っていたけど、このあと、なかなか進まず、発来はしばらくあとに修正されることに…)

18:00 夕食
ハヤシライスにテンションがあがり、くまさま(夫)に報告
痛みですでに食欲は無い状態だったけど、エネルギー補給!と今回もお米以外すべて間食

女神だった助産師さんが退勤するということで夜のシフトの方と挨拶に来てくれたのもこの頃。

ものすごく女神だったので「帰ってしまうんですか…😭」となったけど、夜の方々(新人さんだったのかペアでついてくださっていた!)も素敵な方々でした。

段々と陣痛の強さと感覚は短くなっていきつつ、19時までは痛みをやりすごしながら、くまさまとLINEをする余裕もある

ここからが、地獄のようだった…
それ以降は記憶があまりない

20:00
破水スタートだったので感染症予防のため抗生剤を飲む必要があったものの、普段病院で使われている抗生剤にアレルギーがあったので、薬をどうするか?で先生たちが検討してくれていて、この頃やっと薬をのみました◎

陣痛の痛みは、え?これ一人で耐えてて大丈夫?ナースコール押した方がいい?と迷うレベルに。(え?と迷っているうちに波が終わり、押さずじまい)

加えて、この頃から、元々時々発生する左胸の息苦しさがやってきて

呼吸が大事というのは重々承知で、ゆっくり呼吸をするものの、いまいち酸素が入ってきていない感があり、ずっとやんわり息が苦しい状態が続く…
(お風呂に胸まで使っている時、あるいは胸の上に幼児に乗っかってるくらいの、息が出来ないわけではないけれどもずっと続くとけっこうしんどい…という感じ。)

数分おきにやって来る陣痛と、常に胸を押さえつけられているような息苦しさが合わせ技、となると、なかなかしんどかった…
(何年も前から感じている症状で、ひどくなっていた数年前に総合病院で色んな科で診てもらったけど、なんだろうね?なままだったので仕方ないけど、妊娠中も度々なっていて、入院中も一応助産師さんに相談するものの、お腹が押されているからかな?ということで耐えるしかなかった…)

夜辛かったのがもうひとつ
いきみたい感が出て来た(と思ってたけど、今おもうとこの頃のは純粋に便意だったのでは、と思う)

事前知識で、いきんでいいと言われるまでいきんじゃいけない!と思いすぎて、この頃からいきみたい感を必死に我慢。

便秘気味で、2~3日お通じがない状態だったので、その旨と、いきみたいんだけどいいかな?とこの頃助産師さんに相談すればよかったと

今となっては本気で悔いているけれども、痛みと苦しさと、後述の絶望感とで、冷静な判断はもうできなくなっていた

<この頃から時間間隔がないのでまとめて…>
朝お昼頃まで、おそらく1時間おきくらいに様子を見に来てくれていた助産師さんに毎度「子宮口3cm」と言われ絶望が強まっていく。
(入院した朝9時に2cm、14時に3cmだった。)

え?検診のときから「2cmくらい開いてきてそうだね~陣痛来たら連絡してね~」て言われてたのに???

こんだけ絶望しそうに痛くて何時間も経ってるのに、3cmのままなの?
と脳内で絶望(言葉にする余裕はなかった)

痛みは、声を出さずにはいられないけど意識は保てているくらい。

絶望と痛みと息苦しさといきみたさに
全然寝られず夜があけていき

繰り返される「子宮口3cm」に、
これからの闘いがながいことはわかっているのに、もう補給食をとる動きも満足にできず、寝られもしていないことに

これからいきんだりしないといけないのに体力がもたない未来しか見えなくなっていき、絶望と焦りが募っていく…
(多分たまに気絶はしてた)

翌 9:00頃 お医者さんの診察?

もう意識ははっきりしていなかったので、いつの間にかお医者さんがいた感じだったけれども

促進剤投与をすること
そのリスクの説明

今の状況を考えると(具体的になんでだったかまで頭に入らなかった)帝王切開の準備もすすめていくこと
そのリスクの説明

帝王切開にあたり、輸血の可能性があること
そのリスクの説明

をされる。

明け方には「なんでもいいから早く終わりにして…切って出して!!!」という想いで頭はいっぱい(口には出せなかった)だったので、やっと終わるのか…と少し安堵。
(まだ全然終わらなかった…)

説明は、もちろん数分では終わらないので、途中で陣痛やらの波がやってきて叫ぶ。

叫んでいても淡々と説明が続けられていて
叫びながらも「これ、今の状況の私に説明して意味ある??家族も病院で待機出来ないし(コロナ対応)仕方ないのか…」と思っていると

波のさなかに同意書に署名を求められ
「いやいや、無理だよ?」
と思っていたら、さすがに助産師さんが
「ちょっと今はまってあげて」
と入ってきてくれた…

波は過ぎ去っても、もう絶望していたので、我ながらよたよたながら字が書けることに驚きながら署名。

そして、帝王切開の準備もするから朝食以降、食事NGになるとのことで、手を付けられていなかった朝食を少しでも食べるように…と促される。

持って行っていたゼリー飲料を横たわりながら吸い、起こしてもらって朝食のお味噌汁をなんとか何口か飲む。(本当にやっとのことで数口という状態だった。)

この頃は、5~6分置きに絶叫。

いきみ逃しの方法を事前に色々しらべていたけど、

テニスボールで自分でおさえるなんてとてもする余裕はない
四つん這いとか壁に手をつくとか、自力で体勢かえるなんて出来るわけないじゃないか…という感じで

でも、ものすごいいきみたさとでもいきんじゃいけない、という思いとで、どうにかしたいけど、どうにも出来ず
(誰がよく聞くいきみ逃しの方法を出来るんだろうと未だに本当に疑問。)

お医者さんの診察時、便秘に気づいてくれて、辛そうだし赤ちゃん出てきづらそうだから…と浣腸の用意をしてもらえることに。

いきみたさで頭がどうにかなりそうだったので、神の救いに聞こえた「浣腸」の言葉
(羞恥心などもうどうでもいい、なんでもいいから、誰かどうにかしてくれ、という気持ち。)

11:00

引き続き5~6分おきに絶叫
(子宮口と同じく感覚も前日の夜から変わらずだった。絶望の一因。どうせ停滞するならもうちょっと間隔長くしてくれ…)

呼吸に意識を向けるとか、力は入れない方がいいとか、
事前にしていたインプットやイメトレはむなしく

そんなことに意識を向ける余裕は、身体的にも精神的にも全くなく、数分おきにベッドの柵か枕にしがみついて絶叫

いきみたさは、
同じ状況に電車で陥ったら、1分我慢できる人は誰もいないんじゃないか?というくらい。

いきんじゃうと絶叫との間に漏らしながら多分泣いてた

頭がおかしくなりそうで、なんでもいいから早く終わりにして、と波が来るたびに思っていた

なんでもいいから状況を変えたい、と「夫はまだ呼んじゃダメですか」とお助産師さんが来てくれるたびに聞いていたら、お許しが
(コロナが5類になったところで、陣痛室から陣痛がある程度進んだら立ち合いが出来るルールに変わったところでした!お陰で、くまさまはコロナが始まって以来初めて陣痛室から立ち会った人に…!)

くまさまに電話(何をしゃべったかは記憶にない。)

30分ほどでくまさま登場

13時頃まで、くまさまの手と、ベッドの柵を握りつながら、ひたすら絶叫。

くまさまと助産師さんが
ボールでお尻を抑えたり、腰を押してくれたりしていたけど

しばらくすると、触られるだけでいきみたさが爆発的にやってくるようになり「触らないで!!!」となる
(触らないで!すら、めちゃくちゃ波が去りきった一瞬にしか言えず、くまさまにだけどうにか伝えて、助産師さんがマッサージなどしてくれようとする度に、くまさまが「触られたくないみたいです」と伝えてくれていた)

自覚はなかったけど、波の合間はちょこちょこ気を失うように倒れていたらしい(くまさま談)

14:00
突然子宮口8cm

なんでこの時間まで浣腸が実現しなかったのかわからないけど、8cmになっちゃうと今から浣腸は難しい、と言われ、また絶望

そして帝王切開の準備が進んでいたものの、8cmになったなら下からいこう!と言われる。
(口にはしなかったけど、もう一秒でも早く切って出してくれ、一瞬たりも意識を保っていたくない、という状態だったので、下からいこう!にもこの時は絶望。)

分娩室移動(くまさま一度退室。自力で歩かされてびっくりすると有名な陣痛室ー分娩室移動。すぐ隣だったけど、もう意識朦朧だったので、助産師さんに両脇を抱えられ、自力で歩いてはいない。ずるずる引きずられていった感じ、笑)

分娩室

いきんでいいよ、とのお許しと
力の伝わりやすいいきみ方を教わる

おへその上のろうそくを吹き消すサンシャイン池崎
とTwitterに教わっていたのに

病院の教えは
吸って吐ききってから、息をとめていきむ!
とのことで
「え?ろうそく吹き消すんじゃないの?」と錯乱

いきみたいのを我慢しすぎて
いきみ方わからなくなってたし

痛みと疲労とで錯乱状態のため
おしりに力を入れろと言われても、おしりってどこだっけ?状態。

何度も私としてはいきんでいるつもりなものの、全く力が入っていなかったようで、助産師さんとお医者さんとで「どうしようか会議」が始まる

15時

吸引することになり、続々と人が集まってくる
(分娩室移動時、私の視界には助産師さん2人とお医者さん1人。吸引決定後、私の視界だけで10人以上。)

ここでくまさまも分娩室入室。

助産師さんがモニターを見ながら
いきんで!と言ってくれるのに合わせて

私も一応いきむ(全力でやっていたつもりだったけど、ほとんど力入っていなかったらしい。)
助産師さんにびっくりするぐらい全力でお腹に乗り、こぐま(ベビー)を押し出そうとする
足サイドでは、吸引機が突っ込まれ、吸引機を持っている人のサイドにも引っ張り出し要員の方々が引っ張り出そうとしてくれる。

というのを数回。

なかなか上手くいかず…

お腹を押し出す助産師さん→師長さんに交代 & 年長者な感じのお医者さんも加わり二人体制に

足サイド→吸引と手での引っ張り出しで三人だったのが、全部で四人体制に

くまさま:いきむときに私の身体を起こしてあげて!と言われ参戦

私のまわりで直接かかわってくれている方々だけで、6人!という大掛かりな感じで、いきむこと数回
(全力で押されすぎて、お腹のあざは数日消えなかった)

15:23
こぐま誕生

しかし、産声聞こえず。

内心「あれ?産声聞こえない…」とそわそわしていたけど、声に出して事実を受け止めるのが怖くて声には出来ず…

ちょっとしてから(体感1分くらい。実際にどのくらいの時間だったは不明)産声が聞こえる。

カンガルーケアを実践している病院だったけど、私が弱りすぎていたからか、こぐまはそのまま一度別室へ。


私は会陰の縫合に…
(足の間にそんなに人って入るんだ…ていう景色で、みんな引っ張ってくれてたので、切る隙なんて無かったよなあ、と思っていたけど、切開もしてくれていたらしい。)

段階的に出てくるのではなく、一気に引っ張られて出てきたので、本当にびりびりだった。
(お尻まで繋がってしまっていて、お医者さんが「うーん、どうしようかなあ?」と悩んでいる呟きが聞こえながらの縫合でした。)

縫う時は麻酔してもらってたけど、1針ずつ縫われている感覚はわかる。
そして途中で痛くなってきて、もう痛いのやだ~と麻酔を足してもらう。

縫い終わってしばらくしてから、こぐまが別部屋での体重測定など終えて帰還。
胸の上に置いてもらって、初めての家族3人タイムでした。


その後…

やっと終わった…という気持ちと

ヨガをしたり、マッサージをしたり、呼吸法を調べて練習してみたり…
すぽん!と出てこられるようにと事前に出来ることは色々としていたのに 

(姉や友人など、こういう事前策をしていたと聞いていた人は初産でも10時間かからない人たちが多かったこともあり…)私は自力で産んであげられなかった、ごめんね、という気持ちが交錯。

こぐまの誕生を素直に喜ばなきゃ!
育児をがんばらなきゃなんだから、くよくよしてられないよね!
と、自分を責める気持ちだったり、悔しさをすぐには外に出せなかったけれど

産後3日の助産師さんとの面談で
お産どうだった?と聞かれ、はじめは「皆さんに産ませてもらったという感じだったので、感謝ですね」と笑顔で言えていたけれど

大変だったもんね、と寄り添う言葉をかけていただいているうちに「悔しい…痛いとか苦しいとかに負けて自力で産んであげられなかった…こぐまに申し訳ない…」という気持ちが隠せなくなっていって、はらはらと涙が止まらなくなりました。

「すごくすごく大変なお産で、安産ではなかったかもしれないけど、一生懸命いきむの我慢して、産まれる時も一生懸命いきもうとして、立派だったよ、100点のお産だったと思うよ」

という言葉をいただいて、また涙。

悔しい、という気持ちが消えたわけではないけど、
めちゃくちゃ頑張ってたよ!と人から言ってもらえて、少し自分にOKを出してあげてもいいのかな?と救われました。
(これを書いている今は、もうあまり気にしていない。私めちゃくちゃがんばった!)

思い描いていたお産(頭見えてきてるよ!がんばれ!とか言ってもらって、ふう~!っていきむような)とは全く違ったけれども…

入院から約30時間半かけてのお産。
お疲れさま、私。
くまさま、病院の皆さま、ありがとうございました。
そして、こぐま、臍帯ぐるぐる(二周してました)だったのに頑張って元気に出てきてくれてありがとう。


お産は命がけ、と頭では理解していて
エンディングノートも書き、くまさまに説明してからお産にのぞんだけれども、想像以上でした。
(痛み、というより私はいきみたさと我慢しないといけないのとで頭がおかしくなりそうだったのがつらかった…。)

お股はおしりと繋がるほどびりびりで、痛くなかったわけはないし、
普段は筋肉痛にならないと有名な私*が、数日上半身が全体的に筋肉痛になるほどしがみつかないと耐えられないほど痛かったのに
(*運動習慣0、前日に1時間走っただけで、ハーフマラソン完走しても筋肉痛にならない人。)

いきみたさの波がやってきて頭がおかしくなりそうで苦しかった感覚は覚えているものの、痛みの記憶はすでにない。人間の身体すごい…。


出産のリアルな一例が、伝わっていたら幸いです。

こぐまにも、出産は命がけ、いつか伝えられたらいいな。

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