軽やかな歌から、生きやすくなるためのアドバイスを勝手にもらってみた【好きな短歌を味わって】

雲を見て飲むあついお茶 わたしたちなんにも持たずにここに来ちゃった

『東直子集』東直子


恋人同士のハイキングだろうか。なんとなく気まぐれに登り切ったその場所で、お茶を飲みながら、雲を見ている。そして、ビニールシートもないし、お弁当もない、カメラも持ってくればよかったね、なんて話をしているのかもしれない。

そんな微笑ましい光景が目に浮かぶ。

ただ、それだけと言ってしまえば、言えるのだが、ただ、なぜかそれ以上のものを感じ取ってしまう。

お茶を持ちながら、大切なひとの横にいながら、この短歌の主人公はなんにも持たずに来たことを感じている。

それは、ここまでのハイキングの話だけだろうか。

相手との関係を続ける勇気も、これからも一緒にいましょうという覚悟も、この主人公は持たずに来てしまったのかもしれない。

なんとなく、といってしまえば、軽く聞こえるかもしれないが、直感やタイミングによって始まった関係に、意味や理由などはない。むしろ、なぜ?を問い続ければ、いつか答えることができなくなり、自分の感情に自信を持てなくなってしまうだろう。

だからこそ、わたしたちはいつだってなんにも持たずに「ここ」に来ちゃうのだ。来ちゃうくらいで十分なのだろう。

それをする意味はあるのか、本当に自分のためになるのか、将来の役に立つのか、効率がいい方法なのか、自分がそれをする目的はなにか。頭の中にいる常識人(もしくは、現代人)がたくさんの質問をしてくる。

それ、意味ある?と。

そして、わたしたちは、ついつい、意味のなさを、無駄を、余計なものを手放してしまいがちだ。

でも、そんなこと心配しなくていい。わたしたちはなんにも持たずに、ここに来ちゃっていいのだ。そういえば、生まれた時だって、わたしたちはなんにも持たずに「ここ」に来ちゃったのだから。


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