三善晃の創作意識変遷について 終章・補章

終章 三善晃を通史的に再確認して

本論文では著作を中心に三善を読み解いた。

三善は、最初期から「孤独」の概念に基づく創作を続けてきた。「レゾンデートル」によって創作したと言って良い。そのために三善は「内奥の人間性」を確かめ、さらには「伝統」の概念を取り込んだ。いつだって三善は自らの「地図」で世界を生きていた。しかし「地図」は1980年で完成してしまった。

ロマン主義的な芸術家は、いや、いかなる芸術家でもそのような「地図」を持っているのだろう。例えば三善(1965)が指摘するように、十二音技法だって「ほんとうに内在していたものの、最後にとった外的な形」なのだ。もちろん「地図」は人生が進むにつれて消され、書き足され、自身でも完全に見えることなどない。後世、我々はそのような不完全な「地図」を読み解くが、当然その作業は困難である。

しかしそのような「地図」を眺めた時、眺める人によってたくさんの「道」が見える芸術家がいるだろう。もちろんいくつかは全くの誤読かもしれない。だが、「道」が多く見出せる芸術家ほど読み取る側の心と深く響き合うのではないか。

三善には、特に1958年から1980年にかけて様々な線が引けるため、第三章第一項で見たように批評家の主張もばらつきがあった。それ以前に、評価する批評家も評価しない批評家もいた。それは、三善が安直な線を自ら引くことなく、なるべく点として向かい合おうとした結果であろう。そのような意味で、三善の評価は、さらに考察がなされなければ最終的に確定することはないのだろうと思う。

筆者はここではいままで顧みられていなかった側面から三善の地図に線を引いた。結果としてそれは転身のない、ひたすらな「もの」への眼差しとなった。三善の初期から最後まで、変わることがない概念が支配しているということになる。このような線を引くことを、三善は許してくれるだろうか。

補章 本論文の個人的な意味と《遊星ひとつ》 ーあとがきにかえて

この論文とも言えない長大な読書感想文を書き上げてから、2年の月日が流れた。

思えば私は「ロマン主義とは何か」について私なりの答えを出すために、三善という対象を選んだのだった。人間精神が高らかに宣言されたこの芸術主張は、「永遠で絶対的なもの=神」ではない人間たる存在を基盤に置いたからこそ、滅びゆく運命にしかなかったのだと私は漠然と考えていた。その死を救済と受け取るのか、対峙するのか、それとも受容して次の時代への希望を見出すのか、はたまたそれ以外か。後期ロマン主義の音楽の多くは、「死」との対峙と克服という文脈で説明できるのではないかと(根拠なく)思う。

そう言った意味で、三善という芸術家はまさに「人間」であった。神との対峙ではなく、「西洋音楽」との対峙として、彼は音楽家としての活動を始めることになる。そして、おそらく同時代の誰よりも、真剣に「西洋音楽」との距離を測り続けた。同時に彼は「死」との距離も測り続けることになる。そして彼が選んだ対峙方法は、次世代への眼差しというものだった。

私が思うに三善は少し頭が切れすぎ、この結論に達するのが早すぎた。著作をあたる限り、1980年代には明確にこの結論に達している。これが創作意識変遷が終結したと述べた大きな理由である。そのため技法の成熟こそあれ、人間精神という側面からは終結という表現を取らざるを得なかった。

では、三善の1980年代以降は無意味かと言われるとそうではない。第五章第二節第三項で取り上げた合唱作品が頻繁に書かれた時期であり、子供のためのピアノ作品群が書かれた。特にアマチュア合唱の世界においては、詩の力も借りることで三善の精神はより容易に伝えられ、いまも生き続けている。「孤独」や「死」といったいつの時代の誰にとっても重要な問題に対する一種の答えがそこにあるからだ。

特に《遊星ひとつ》は三善晃の人生と創作そのものであったと言えまいか。《INITIAL CALL》の胎動のリズムが始まりを告げるが、《だれの?》はまさしく「孤独」に苛まれている。圧倒的に個の世界であり、詩には常に「きみ」がいる。二元論的な見方で周囲との距離を測るのは、まさに葛藤していた若い三善に重なる。そして《見えない縁のうた》で自らの幼少期、そして「いのちといのちのきらめき」へと眼差しが移ろってゆく。《バトンタッチのうた》の冒頭の変拍子は、ただただ複雑な現代社会を現しているように思う。いわば、都市の雑踏のようにさまざまな音が混じり合う。現代の新しい「孤独」の音、と言えるのかもしれない。音楽は踏ん切りをつけられず動き続けるが、4/4のセクションに差し掛かるとあとはもう「バトン」を渡すしかない。

「生の円環」は、人間がそこにある限り決して消えることなく存在し続ける。そして人間が存在する限り、三善の作品は共鳴する人間を惹きつける魅力を失わないだろう。

(参考文献につづく)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?