20090714_009__のコピー

2.中国は北の都で

まだ出港していないけれど、ゆらりゆらり、かすかな揺れを感じる。雑魚寝の最下等切符だけれど、自分の部屋を探しつつ船内を歩く。二段ベッドの並ぶ一等上の個室やお手洗いが並ぶ通路を抜け、端の方の大部屋に着く。

20畳くらいのフローリングに、1畳に1つずつ布団代わりに細長いマットレスと固めの四角い枕が置いてある。数えてみると14人分。まだスペースはあるから、繁忙期にはもっと増えるんだろう。切符に書いてある自分の番号のところにバックパックを残し、船内を散策することにする。

売店も食堂もまだやっていなかった。出港してからだろうか。出入口付近に行くと自販機が何台かある。お茶やジュースは高いが、酒、煙草は安い。ここはもう日本の外なのだ。

デッキに出ると他にも何人かいた。日本人と言葉を交わす。最初に会ったひとに仕事の話を聞いたり自分の話をしているうちに、船がとてもあっけなく陸地から離れるのだった。

船を選んだのは主にその値段だった。学生料金で2万2千円。旅の知識が乏しかった自分にとってはとても安く、したかった船旅と相まってとても魅力的だった。シベリア鉄道に乗るのに飛行機で行くことを選択肢から外したのは、どこかで読んだ小説の一節が頭に残っていたからかもしれない。「空なんて飛びたかないよ」。

初日の夜。静かに瀬戸内海をゆく船で、海に映り込む月をぼんやり眺めていた。

船旅は、一日中二日酔いみたいな感じだ。頭がはっきりしていても世界が揺れている。ゆれている内に、どっちがゆれているのか分からなくなるような。

結局、大部屋は半分の7名しか埋まらなかった。雑魚寝とは言え人が少なければそれなりに快適だ。僕の他には、日本人が1人、中国人が2人、スイス人のカップル、スペイン人だった。英語で少し話をした。

食堂で、他の日本人とも会話をした。ある人は陸路でゆっくりトルコまで抜けて、そのままアフリカの方へ南下する予定と言っていた。壮大な旅をする人もいるんだなと思った。自分の旅の大きさもよくわからないままに。

関門海峡を抜けても波が荒れず過ごしやすい船旅だった。そうして3日目も昼にさしかかり、いよいよ到着予定時刻だ。接岸し、錨が降ろされる。しかし、なかなか人が降りて行かない。なにかあったんだろうかと思っている間に流れる船内放送。新型インフルエンザの疑いのあるひとが見つかったらしい。日本語と中国語でしか放送がなかったので、スイス人のカップルとスペイン人に英語で伝える。「冗談でしょ?」「いや、ほんとほんと」

そして天津港に到着。

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港から駅までどうやって行くのかすら、いや駅まで移動が必要なことさえ考えていなかった僕は、なんの計画もない無鉄砲さで、北京へ向かう他の日本人について行く。いや正確に言えば、連れて行ってもらう。一緒に両替をし、中国には元の補助通貨として角があることを知る。

バスを一度乗り換えてしばらく乗ると着いた天津駅で、北京までの新幹線の切符を買った。簡単な食事を、李先生というどうみてもカーネル・サンダ○スな看板の中華料理チェーン店でとった。天津から北京までは30分で到着。車内の速度表示が330km/hとなっていたがこの国のことなので本当かどうかはわからない。

そして北京駅でお別れ。その中のひとりにくっついて行き、その人が予約しているユースホステルに行ってみることにした。すると運良く空きがあり、そこに泊まれることになった。そこの日本人スタッフと3人で食事に行く。そして世間を騒がせているチベット暴動には裏側があると聞く。チベットのラサに行ってきた人が1週間口を開かなかった事実。ヤクザと変わらない公安。なんだこの国は。

なにはともあれ、僕は次の旅程を決めなくてはいけない。宿にあった少し前の「地球の歩き方」を見たり人の話を聞いたりして、北京からウランバートルは直通で行くよりも、国境手前で下りて乗り合いバスで国境を越え再度列車に乗った方が、たかだか数千円程度とはいえ安上がりだということになった。その翌日に切符を買おうと窓口に行ったら、たらい回しにされた挙句なぜか買えないという旅の洗礼に遭ったけれど、後日拍子抜けするほどあっけなく買えた。

もちろん北京では観光もした。宿まで連れてきてくれた日本人と一緒に万里の長城に行った。ひたすらに大きく、北京について初めて澄んだ空気を吸った。

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紫禁城、故宮博物院もとても広い。平安京とかこんな感じだったんだろうか。

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多少のトラブルもあったとはいえ、北京での滞在は楽しかった。毎晩ビールを飲みながら、宿に泊まっている日本人たちといろんな話をした。こんな時間が毎日続けばいいのにとさえ思ってしまった。それでも出発の日はやってくる。

出発前夜、いろんな人から言葉をもらった中、男前Kさんの言葉が刺さった。

「死ぬときは死ぬからな」


出発当日は、朝早い列車のため、誰にもさよならを告げずに宿を出た。こんなにも別れを惜しんだのは生まれて初めてだった。




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