君がそう言うなら、私にとってはそれが真実。
いつでも目の前に起きていることをそのまま受け止めたい。
それは「百聞は一見にしかず」よりももっともっと根本的で、シンプルな考え方だと思っていて、たまに迷ったりもするけど、原則私はこの考え方で生きていきたいと思っている。
例えば、そうだな。
とても仲良くしていると思っていたAさんが、実は裏でBさんに「aeuって空気読めないところあるから困るんだよな(笑)」と言っていたとする。それをたまたま聞いていたCさんがaeuに知らせるのだ。「このあいだ、AさんとBさんがaeuのこと、空気読めないから付き合いづらいってバカにして笑っていたよ、本当は良く思われていないんじゃない?」
聞いた瞬間は動揺するかもしれない、でもちょっと待って。
いま、目の前に起きている事だけをそのまま見つめてみて。
もしかしてAさん私のことあまり良く思っていないのかな——それは自分の勝手な推測。Aさんはそんなこと一言も言っていない。
また、Cさんから伝えられたそれは、Cさんというフィルターを通ってCさんが感じた温度で伝わっていることを忘れてはいけない。さらに言うなら、AさんとBさんのそんな会話が実際にあったのかどうかさえ、私は知らないのだ。
かといってCさんに悪意があるかというと——それも自分の勝手な憶測。感じたことを親切心で教えたのか、悪意があって伝えたのか、そんなのは本人以外の誰にもわからない。
それならば私は、Aさんが変わらず自分との時間を笑って過ごしている目の前の事実を大切にしたいと思うんだ。
仮に本当にそんな会話があったとしよう。それを言えずにいるのか言う必要がないと判断しているのかはさておき、Aさんが自分にそれを伝えてこないという事実も含めて、Aさんが直接自分に差し出してくれるもの全てが私にとっての真実だと思うから。
学生の頃から今もずっと好きな歌詞がある。
まさに、そういうこと。
良くも悪くも勘の良い人というのはどこにでもいるもので、正直私自身もその一人だと自負している。
生きていると、本人ではないルートからそのひとの情報が入ってくることはよくある事だし、思わぬところで本人から聞いていない事を勘付いたり気が付いたりしてしまう事もある。
それでも私は、本人が直接自分に差し出してくれるものを、そのまま受け止めて大切にしたいと思う。
すごくシンプルなこと。
だから今は、目の前に在りもしない事を想像して、あれこれ憶測で勘ぐって、不安に思ったり、悲しみに暮れたり、取り乱したりする必要なんかない。
そんな暇があるなら、目の前にある幸せや喜びを見落とさぬよう、大事に掬っていて。
幸せなときは幸せでいいんだよ、わざわざ不幸になる必要なんかない。
そう、思うんだよ。
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