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ぷろおごの焚き火会に行って、絶望してきた

どうも、けんたです。

今回はぷろおごの焚き火会に行ってきたので、その感想を書けたらと思います。

まず、最初に言っておきますが、この焚き火会に参加できたことはとてもとても良かったです。何度強調しても足りないくらいです。何万円払っても(※実際に払ったわけじゃないです)全然得したと感じるくらい、普通に生きてたら絶対に行くことのできない場所、環境だなと思いました。そんな場所に行くことができて、本当に自分は運が良かったなと思います。


これらの前提をすごーーく強調した上で、あえてこのnoteを書きます。


僕は大学生限定のアシスタント枠で行きました。雑用係です。


焚き火会全体を通して、僕が感じた感情は本当に絶望以外の何者でもないですね。本当に、衝撃的で価値観がぐらぐらと揺らぐようでした。それは厳しい現実と、凄まじい能力社会を垣間見た瞬間とも言えるでしょうか。いずれにしても、すごかったです。

この記事では、場所、参加者、話の内容についての詳細には一切触れずに書きますので、曖昧でわかりにくい表現などあるかと思いますが、ご了承ください。

それではどうぞ。


大学生でアシスタントを募集してた。

はじまりは、ぷろおごが三つ星スラムの大学生限定の部屋で、アシスタントを募集していたことからです。

僕はそのとき、割と早いタイミングで気づいたので、動向を見てました。

めちゃくちゃ面白そうだなと思ったので、もし行けたらラッキーくらいのノリで応募的なのをしてました。

なんか行けることになった。

それから何日か経って、若干忘れつつあるところで、ぷろおごからアシスタントしにきていいよ的な連絡をいただいたので、行くことになりました。

まさか行けるとも思ってなかったので、びっくり半分、嬉しさ半分みたいなところでしたね。

本当は他のスラムの大学生とも一緒に行けたらおもしろそうだし、ソロはちょっとさみしいなというのはあったのですが、一人で乗り込むのもそれはそれでくらがりチャレンジという気がするからまあいいかなと思っていました。

行く前のワクワクとドキドキ。

だんだん、焚き火会の詳細がわかってきたのと、楽しみだなぁという思いが出てきて、ワクワクしていました。

その反面、本当にたどり着けるのかなという不安感だったり、実際に行って何すればいいかとかどんな話をしたらいいのかとかの想像が全くできなかったので、どうなるかわからないドキドキ感はずっとありましたね。

行く前にどんなことやったらいいですかね〜みたいなのをスラム内で聞いて、花火持って行ったらとかツーショット撮ってきたら、みたいなことを言ってもらったりしました。

結局どれもチキってやらなかったんですけどね…。
自分のメンタルの弱さを再確認しました。

準備するために早めにいった。

何時に着けばいいのかもよくわからなかったので、とりあえず早めに行こうと思って、めちゃ早く行きました。

もう今日は労働しまくるぞ、という気持ちでいたので、お手伝いさせていただきました。

とても微力ですが少しは役に立つことができたような気がして、良かったです。

準備の後、ちょっとだけポーカーしたの楽しかったな。


焚き火会が始まった。

準備をしていると、続々と人が集まってきます。

生のぷろおごが見れて、ちょっと感動しましたね。画面越しに見てた人がいるやん!ってなりました。

他にも参加者が続々と到着して、いよいよ焚き火会が始まります。

焚き火を囲んで、肉を焼いて、飲んで、話して、….

風情がありますね。自然に囲まれて、焚き火を囲むのは確かにいいなと思いましたね。


圧倒され続けてた。

そこにきた人の紹介を聞き、まず圧倒されました。
すげえ人ばっかじゃん…みたいになってましたね。

あとは、話してる話がいちいち面白い。リアルの場でここまで面白い話ができるんかとか、空気の作り方とか場の持ってきかたとか、僕からしたら異次元だなということが起き続けてました。

画面やインターネット越しでしか見れないようなことが起きていて、衝撃を受け続けていましたね。実際にそういう場所は存在していたんだろうけど、リアルで見るのは本当に全然違う。

同じような人間という種の見た目をしていて、食べるとか動くとかの機能は大まかには同じなんだろうけど、魅力とか能力とか、場数とか経験の量、質が圧倒的に違う。

違いすぎて、その場所が現実なのかどうなのかよくわからなくなっていたような気がします。

衝撃を受けすぎて脳みそが完全にやられていましたね。


空虚なただの空気と化していた。

自分がその場にいるのに、自分が居ないみたいな感覚がずっとありました。

アシスタントとしてはきていましたが、どう手伝っていいのかもよくわからなくなるし、どう存在していいのかわからなくなっていました。

別に何もやる必要はないし、アシスタントなんだからただただ雑務やっていればいいっていうのもあると思うんですけど、話は聞きたいし、質問もしたいし、だけど怖くて質問できないし、みたいなことを頭の中でぐるぐるしてました。

大人数が向いていないというのと、凄いというので圧倒されてしまうと、自分はできることさえ出来なくなるんだということを痛感しました。

自分が存在することで生み出せるプラスを1ミリも感じられない、むしろ何か動けば動くほどマイナスになるビジョンしか見えない、みたいな思考でした。そんなことを思う必要性はないし、害悪ですらあるのに、そういうことばっか頭を巡っていました。

まるで自分が、小中高でずっと感じていた疎外感に近いようなものを思い出しました。

誰からも嫌われたくない、好かれたい、けど一歩も踏み出せない。調和が欲しい。外れたことをしたくない、地雷を踏みたくない。怖い。ただ怖い。
全ての可能性を考えきれてない、わからない、どうしよ、どうしよ。

そうやって、何も言葉を発せないし、何も動くことができない。そんなことをしてたら、当たり前のように仲良くなる人だってできない。

自分の特性と経験が相まって、やっぱり自分って疎外感を感じるような側でもあるんだよなっていうのを再確認しました。


頭も回ってなくて、居心地もなんとなく悪かったので、帰っちゃった。

結局、終電とかは全然間に合うような感じでもなかったので、徹夜して朝まで存在していました。

徹夜が慣れてないので、そもそもあんまり頭回ってなかったのと、自分の存在意義があんまりないような気分が勝手にぐるぐるしていたので、始発に近い電車で早めに帰りました。

本当は労働力だったので、片付けとかもちゃんとやり切ったほうが良かったなと後になればめちゃくちゃそう思うのですが、それを考える余裕すら残ってなかったみたいですね。

うっすらとした絶望と一緒に帰る。

帰り道はずっとうつらうつらしながら、少しお話ししつつ帰りました。

脳みそはおそらく回ってなくて、でもうまく回ってないことにすら気づけてないくらいぼーっとしてて、ただただ圧倒された衝撃とともになんとかこの世界に留まっているような感覚でした。

自分のレベルが1だとしたら、1億レベルぐらいあるような人たち。魅力がとんでもない人たち。話がとんでもなく面白い人たち。才能を全身で感じる人たち。自分よりも存在意義があるんじゃないかとついつい思ってしまうような人たち。実力があって、別に肩書きとかそういうのはなくてもゴリ押せてしまうような人たち。

そんな、実際に存在しているんだけど目の当たりにしたことはない世界を見たような気がして、ただただ絶望していました。

こんな能力者たちに近づくことさえ、不可能に近いんだろう。そんなことを別に思いたいわけでもないのに、感覚として刻まれてしまうようでした。

能力主義社会では圧倒的な強者。それを目の当たりにする、別に才能もクソもなんもない、ただの大学生。そのコントラストの激しさが自分の脳みそをより一層狂わせていたように感じます。

振り返れば振り返るほど感じる浅ましさ。

行く前に、何かちょっとでもできると思っていた自分がおこがましい。
アシスタントとして、何かちょっとでもお手伝いできると思っていた自分がおこがましい。
何か通用する部分が1ミリでもあるんじゃないかと思っていた自分が馬鹿らしい。
最後にできるはずの片付けとか掃除とかをやらずに、居心地悪くて帰ってしまった自分がとても浅ましくて、醜いやつだなと思いました。

振り返れば振り返るほど、なんて愚かなんだろう自分、ということを感じまくっていました。

幸か不幸か、今まであったような変なプライドが少し落ちていくような気もしました。

自分が何者になれるかとかそんなことを考えることすらおこがましい。できることはできるし、できないものはできない。そんな凄い才能のあるやつになろうとしたって、到底今の自分では辿り着けないだろうし、辿り着こうとしたところで、残酷な現実とぶつかって不幸になるだけだと思いました。

だからもう、できることをしていくしかない。何者かになろうとしたって、別に、できないものはできない。


それでも残る、しょうもないプライドが、浅ましい雑魚っぽくてすごく自分らしい。

何者でもない雑魚であるという前提を身をもって再確認した。

今回の焚き火会を通して実感したことは、絶望です。 が、得られたものとしては、「自分は何者でもない雑魚であるという前提を再確認できた」ことです。

別に何者でもないことは元々明らかでしたし、発見でもなんでもないような気がします。しかし、レベルが明らかに違う能力者を目の前にすることで、体感、手触りとしてはっきり体に刻み込まれました。

それによって、自分の中で、カッコよく見せようとか、よく見せようとか、何者かであることを目指そうとか、そういうものを目指すことが本当にしょうもないことなんだなということがわかりました。

だからと言って自分という雑魚は雑魚らしく、カッコよく見せたり、よく見せたり、何者かであることを目指していくとは思います。

でもそれを、しょうもないことであるという前提でできるのはとても良いことだなと思います。そっちのほうが、純粋に自分がいいと思うものにベットできる気がする。


これからも、絶望する自分、何もできない自分、考えすぎて動けない自分、なんかよくわからない自分、そんな雑魚でも何かやっている様子、とかを書いていければと思います。

今後ともよろしくお願いします。


最後に

改めて、このような場に参加させていただいた、ぷろおごに感謝の意を述べさせていただき、この記事を締めさせていただきます。


ありがとうございました。また行きたいです。



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