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ベイズと童話

リスクマネジメント研究の一環でベイズ統計を学んでいると、特に日本の入門書(大学テキストではないもの)で引用されるのが、童話「オオカミ少年」です。
退屈を紛らわせるために羊飼いの少年が、羊を襲うオオカミがいないにも関わらず「オオカミが来たぞ!」と嘘を叫びます。村人は、最初のうちは少年の叫びを正しいと思いオオカミ退治にやってきますが、少年が嘘を重ねるにつれ、少年の叫びを信じなくなり、最後には本当にオオカミがやってきて、村の羊が全部やられてしまうというものです。話によっては、羊飼いの羊だけが全滅したというのもあるようですが。
オオカミ少年の話は、二項分布のベイズ更新の例として引用されることが多いです。詳しくはこちらをご覧ください(ベイズ統計の第一歩に最適な書籍の一つです)。

統計お姉さんサトマイさんの動画も参考になります

確か同じようなロジックの童話があったよなと考えて思い出したのが、新美南吉の「ごんぎつね」です。これも有名な童話なので今さらですが、猟師が母親に食べさせようと捕まえたウナギをイタズラで逃したキツネが、母親の葬列を見て、罪滅ぼししようとせっせと贈り物を猟師の家に届けていましたが、ある日土間でガサガサする音を聞いた猟師が鉄砲を撃ったら、そこには贈り物を運んでいたキツネが倒れていたというお話です。

この二つの物語、一つは「嘘つきではない」と思われていた少年が、だんだん嘘つきだと確信されるようになるという話、もう一つは贖罪の行動が理解されず殺されてしまったという話なので、どこが似ているんだという指摘を受けそうです。ここで、オオカミ少年とごんぎつねの違いを比べると、オオカミ少年は嘘をついているところを村人に「観察」され、その行為が嘘つきの「エビデンス」となっているのに対し、ごんぎつねは贈り物を運んでいるところが猟師に見られていたわけではありません。もし猟師が自宅の土間に狐と贈り物(と思われる)山の幸が一緒にいるところを何度も目撃(観察)していれば、猟師の心の中でキツネが持ってきてくれたんだという確信が高まっていたかもしれません。

また、オオカミ少年では、少年は人間なので、少年が嘘をつくのはよくあることという認識を村人が持つことはさほど難しくないですが、キツネが贈り物を持ってくると考える確率、ベイズ統計では「事前確率」はそれほど高くないでしょう。キツネが贈り物を持ってくることの起こりやすさ(尤度といいます)も大きくはないでしょう。そうすると、キツネが何度も贈り物を運んでいるんだという確信(事後確率)はあまり高くならないかもしれません。とはいえ、どこかでキツネが贈り物を運んでいるところを観察するチャンスがあれば、撃たれずに済んだかもしれないと思うと、フィクションとはいえ心が痛みます。

こんな小難しいことなど考えずに童話を楽しめばいいじゃないかとのご指摘そのとおりなのですが、ちょっと歳をとりすぎたかもしれません。これも一種の職業病なのでしょう。

※本連載は、中小企業診断士たる筆者個人の意見の表明であり、筆者が所属する組織団体その他の公式な見解を示すものではありません。

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