セオリーとは裏のルールを可視化しようとする試みである

「モンティホール問題」について

昔観た「ラスベガスをぶっつぶせ」という映画の冒頭で「3つの扉から新車が入っている扉を当てるクイズゲーム」を行うシーンがあった。
これは「モンティホール問題」という有名な数学パラドックスらしい。正確なルールは以下のようになる。

プレーヤーの前に閉じた3つのドアがあって、1つのドアの後ろには景品の新車が、2つのドアの後ろには、はずれを意味するヤギがいる。
プレーヤーは新車のドアを当てると新車がもらえる。プレーヤーが1つのドアを選択した後、司会のモンティが残りのドアのうちヤギがいるドアを開けてヤギを見せる。
ここでプレーヤーは、最初に選んだドアを、残っている開けられていないドアに変更してもよいと言われる。ここでプレーヤーはドアを変更すべきだろうか?

モンティ・ホール問題-wikipedia

詳細な解説についてはwiki内の記事を読んで欲しいのだが、結論としては「ドアを変更したほうが正解する確立は上がる」ということになる。

この問題の個人的理解は「ゲームのルールが変わった」ということだ。
表向きのゲームの目的は当然「当たりの扉を選ぶこと」である。
しかし、上記の解説を読めば分かる通り、司会者が残った扉から外れの扉を開示してくれて、尚且つ自分が選んだ扉を変更することが確定しているのであれば、本当のゲームの目的は最初の選択で「外れの扉を選ぶこと」に変わっていることに気付くだろう。

対戦ゲームにも裏のルールが存在する

今までのは数学上の面白いパラドックス問題の話だったが、対戦型ゲームにも同様に表向きに開示されている目的と、そこに辿り着くための裏のルールが存在する。
個人的には「ゲームの上手さ」はこの目に見えない裏のルールにどれだけ気付けるかということと、ほぼ同義じゃないかと思っている。

例えばこの間友人と「OverWatch2」を遊んだときに「このゲームは普通のFPSと違って陣取りゲームだから楽しい」と口にしていたが、全ての対戦型FPSには「どれだけエリアを取れるか」が勝率に直結するという裏のルールが存在するため、全ての対戦型FPSは陣取りゲームである(「OverWatch」や「スプラトゥーン」といったゲームはそれらがゲームデザインとして最初から可視化されているに過ぎない)。
FPSにおいてエイム(=撃ち合いの強さ)が重要なのは、エイムが強ければ強いほどエリアを広げることが出来、尚且つ広げたエリアを保持することが出来るからだ。これを理解出来ていない場合(=裏のルールが理解出来ていない場合)「撃ち合いは強いのにゲームには勝てない」という状況が生まれる。

上記の説明はFPSゲームにおける「セオリー」であり、裏のルールなどと意味不明なことを口走るなと指摘されるかもしれない。
しかし、それはFPSというゲームジャンルの歴史が長く、本質的に陣取りゲームであることが変わらないから、裏のルールがセオリー(=ゲームの勝ち方)として顕在化してきたに過ぎない。
つまり、こう言い換えることも出来るだろう。
「セオリーとは裏のルールを可視化しようとする試みである」と。

個人的には新しいゲームのスタートダッシュが速い人たちは、このルールの発見を得意とする場合が多い気がする。
現よしもとゲーミング所属のkuboさんが、ストV稼働二日目くらいに「このゲーム、ジャンプ攻撃をガードさせた後に後ろ下がったら(投げか昇竜出すから)勝ちじゃん」みたいなことをTwitterに書いてて、攻略スピードやべーーってなった記憶があるんだけど、あれもその延長線上な気がする。
現にあれから6年経った今でも、上記の行動は「シミー」として攻撃側のセオリーの一つとして根付いている。

因みに現魚群所属のchomoshさんはドラクエライバルズにおいて「これが正しいかは後の歴史が証明してくれる」と言いながら1/1速攻持ちのファーラットにトルネコで種を与えて突撃させていた。
残念ながら、トルネコファーラットが後世の歴史に残ることはなかったが、こうやってセオリーの可能性を一つずつ探っていくことこそが、スタートダッシュの秘訣なんだろう。多分。

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