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コミュニカティブな練習とは

冒険家の皆さん、今日もラクダに揺られて灼熱の砂漠を横断していますか?

さて、佐藤剛裕さんから暗に「書け」と言われているので(^^)、久しぶりに一言だけ書いておきます。まあ、そういうリクエストをいただけるのは大変ありがたいことです(^^)

トピックは標記のとおりなんですが、僕自身も今まで2回ほど、「コミュニカティブな練習」という表現の意味が違っていて会話がすれ違っていた経験があります。もちろん、言葉というものは生き物ですから、いつも必ず一つの意味とは限りませんよね。ただ、日本語教育関係の論文などを見てみるとやはり共通したイメージというものは確かにあります。こうしたイメージを共有していないと先ほども申し上げたようにコミュニケーション上のすれ違いが起きてしまいますので、今日も Google Scholar で検索していくつかご紹介をしてみたいと思います。

その前に、いつも通りツイッターのアンケートですが、『みんなの日本語』の練習Cがコミュニカティブかどうか聞いたところ、1割程度のかたが「はい」と回答されています。つまり専門性の高い論文の執筆者の間だけでなく、誰でも回答できるアンケートでも9割の方は『みんなの日本語』の練習Cはコミュニカティブな練習ではないと認識していることがわかりますね。

練習Cにはごく短いながらも多少の文脈のようなものがあるので、他の練習に比べたら比較的にコミュニケーションに近いと回答した人がいるのかもしれないという指摘もありました。

さて本題ですが、それではコミュニカティブな練習とは何かと言うと、大雑把に言えば、「コミュニカティブ・アプローチっぽい練習」です。ではコミュニカティブ・アプローチとはそれまでのオーディオリンガルと何が違うかというと、以下の記事に書いたことがあります。

むらログ: みんなの日本語はオーディオリンガル http://mongolia.seesaa.net/article/480069304.html

コミュニカティブアプローチの特徴も話せば長くなりますが、上の記事では大事なものを二つだけあげています。情報差(インフォメーションギャップ)と選択権です。「自分の知らないことを質問する」とか、「相手の知らないことを教えてあげる」とかがインフォメーションギャップで、それを決められたテキストを暗記して言うのではなく、自分で言葉や文型を選んで言うのが「選択権がある」ということですね。

では実際にこれまで研究者たちはどのような意味で「コミュニカティブな練習」という言葉を使ってきているのでしょうか。

たとえば、村野良子(1992)「ICU初級日本語教材のその後」には、「コミュニカティブな練習」として

「・インフォメーションギャップ
・選択権
・フィードバック」

の3つが挙げられています。

また、韓明「中国遼寧省の学校における日本語教育についての研究」では、コミュニカティブな練習として

「自分がよく理解していることについて相手にアドバイスする。自分がどうしたらいいかについて相手にアドバイスを求める」

という活動の例を挙げています。ここではアドバイスに限定されていますが、情報差、つまりインフォメーションギャップがあることは確かですね。

品田潤子(2008)「教科書ができることとできないこと 一「文型積み上げ式初級教科書で教える」とは一」では、以下のように書かれています。

「その後,分析的アプローチを背景としたコミュニカティブ・アプローチが提唱されるようになり,文型積み上げ式の教科書にもロールプレイやタスクなど使用目的を重視したコミュニカティブな練習方法が多く取り入れられるようになった。」

ここではロールプレイやタスクが上げられています。広義のロールプレイには「シナリオプレイ」というあらかじめ決められた内容をいうだけの練習もありますが、一般的にはロールプレイといえば情報差や選択権のある練習のことです。

中里 好江(2009)「日本人中学生の英語習得におけるProcessing Instruction の効果に関する研究」では、以下のような部分があります。

「さらに,状況に関する疑問文に答えたり,自分自身について述べるなど,より意味のあるコミュニカティブな練習へと広げていった。」

「自分自身について述べる」というのは、当然相手の知らないことについて述べるわけですから、ここにもインフォメーションギャップはあるわけですね。

そして、『みんなの日本語』にはこのような練習は一つもありません。「コミュニカティブな練習」と言ったときのイメージに幅はあると思いますが、どのような意味であれ「『みんなの日本語』にコミュニカティブな練習はない」というのが、今日ご紹介した論文の例などから見ても、一般的な認識と言っていいのではないかと思います。少なくとも21世紀になってからの査読付きの論文で、インフォメーションギャップも選択権もない練習のことを「コミュニカティブな練習」と表現しているものは存在しないのではないかと僕は思っています。疑問に思う人は Google スカラーで検索してみてください。検索結果のリンクをここにおいておきます。

そういう状況ですので、とりあえず今後も「『みんなの日本語』にはコミュニカティブな練習はない」というような書き込みに出会うことは皆さんもあるだろうと思いますし、特に Twitter のように文字数に制限のある媒体では僕自身もそうした書き込みをすることがあるでしょう。オーディオリンガルとコミュニカティブアプローチの違いなどを勉強する機会に恵まれなかった皆さんにとっては、「勝手に決めつけるな」と反発を感じることもあるかもしれませんが、「コミュニカティブな練習」というのは一応それなりにイメージの共有された言葉であることを思い出していただければと思います。

前にも書いたことがありますが、このような日本語教師の間で共有されている基本的な知識について勉強したい方は、日本語教育能力検定試験の準備をされることをお勧めします。オーディオリンガルとコミュニカティブアプローチの違いなどもよく出題されているようです。日本語教育の発展のためには、共通の言葉で日本語教師同士で議論ができるようになることが必要ですし、そのためにはこうした勉強も有益だと思います。

そして冒険は続く。

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【参考資料】
村野良子(1992)「ICU初級日本語教材のその後」
https://icu.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=1979&item_no=1&page_id=13&block_id=28

韓明「中国遼寧省の学校における日本語教育についての研究」
https://swu.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=464&item_no=1&page_id=30&block_id=97

品田潤子(2008)「教科書ができることとできないこと 一「文型積み上げ式初級教科書で教える」とは一」
https://repository.ninjal.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=1874&item_no=1&attribute_id=54&file_no=1

中里 好江(2009)「日本人中学生の英語習得におけるProcessing Instruction の効果に関する研究」
https://opera.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=2765&item_no=1&attribute_id=19&file_no=1


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