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Advanced Squad Leader (ASL) 勝利への道:コラム―そもそも、自分はなぜこのゲームをしているのでしょう?

去年の5ヶ月間、島全体が山脈みたいな屋久島でワーケーションをしていました。

そこでは毎週のように山登りをしていましたが、半径数キロ内に民家もなければ他の登山者もなく、スマホの電波も届かない奥地で、捻挫しかけたり、滑落しかけたりと、2度ほど「一歩間違えば遭難死」ということがありました。

死神にそっと頬を撫でられる体験が影響したのでしょうか。しばらくして、もし医者から「余命3年です」と微妙に長い人生のデッドラインを宣告されたら、残りの人生で何を「捨て」、何を「続行する」かを割と真剣に考えました。

そういう考え方を好んでいたスティーブ・ジョブズの享年と同じ年齢となり、この思考実験は、割とリアリティのあるものでした。

「捨てる」については、日々チェックしていた各種ニュースメディアの閲覧は週1回に減らすなど、まあ納得できるものが多かったです。

超意外だったのが、「ASLのプレイは続行する」と全く何の迷いもなく決めたことです。

「ふつう、ゲームとは何か別の生きがい見つけねーか?」と自分に突っ込んだのですが、この決断に全くブレは生じませんでした。それどころか、今年に入ってこのnoteで情報発信し始めちゃうし。

「余命3年」はどうでもよくなり、なぜ自分はこのゲームにそれほどの情熱を感じるのかに、思考の焦点が移りました。

そんなこと考えても一銭の得にもならないのですが、毎朝起きるたびに「自分はなぜASLをしているのか?」と頭の中が騒がしくて仕方ありません。そこでいったん思考の棚卸しをして、このどうでもよさそうな疑問に決着をつけようかと思います。

先に進める前に、「もしこの世にASLというゲームがなかったら」と仮定します。その場合、自分は、別のウォーゲームか何か、やたら奥が深くて面倒くさそうな競技性のある趣味を見つけて、それに没頭したでしょう。よって正確な問いかけは、「自分はなぜ、超めんどくさい趣味を好むのか」となると思います。

仮説1:文化論の視点から
人間の本質は「遊び」だと喝破し、『ホモ・ルーデンス』という論考を著したのが、オランダの歴史家ヨハン・ホイジンガです。

本書の中で、「遊びと最も密接に結びついているのが勝つという概念である」と記しています。

この一文のしばらく後で、「はじめは、他の人より優れたい、第一人者でありたい、そんな人として尊敬されたい、といった憧れがある。(中略)肝心なことは『勝った』ことだ」「しかし、一般的には遊びを企画する際すでに勝利には単なる名誉だけではなく、それ以上のものが結びつけられる。遊びは賭けられた金品を伴うのだ」とあります。

要点は、「勝つ」ことへの熱望と、それに付随する「名誉」「金品」への欲求です。

これはプロのスポーツ界や棋界などを見れば、さっくり頷けるものです。ベンチャー企業経営だってそうかもしれません。

一方、これは自分にはまったく当てはまらないものです。

以前のコラムでも書いたように、勝つことへのこだわりはさほどないというのが一点。

“またたく間にチェス界のトップに上りつめた私に、最後にこんなハードルが立ちはだかろうとは想像できたはずもない。だから一勝もできないまま、たちまち四局を落としたのは相当なショックだった。あと二回負ければ、屈辱的な敗北を喫してしまうのだ”(by G・カスパロフ)

みたいな、思いつめた深刻感とは無縁なのです(もっとも4連敗すれば、それなりに落ち込むでしょうけど)。

日本で誰よりも強い、第一人者になろうという気持ちもありません。もしそうなってしまったら、つまり誰と対戦しても勝ててしまうようになったら、ASLは卒業して別の面倒くさいゲーム(バタイユとか)に初心者として入門する気がします。

さらに、連勝したところでMMP社から「金一封」が送られるわけでなし。

なので、自分にはホモ・ルーデンス的な解釈は当てはまらないといえます。

仮説2:進化心理学の視点から
進化心理学は、心理学史のなかでは比較的新しい学問分野です。
基本的な前提があって、それは
・現代人の脳は石器時代とほぼ変わらない。
・人間にとって自分の子孫ができることが何よりも大事
・人間にとってほとんどの行為は自分の子孫を増やすという目的、願望が根底にある
というもの。

『進化心理学から考えるホモサピエンス 一万年変化しない価値観』には、人間のオスの本性を端的に解説した文章があります。

「犯罪者も含めて、男はすべて多かれかれ少なかれ同じような衝動をもっている。犯罪者だろうと、音楽家だろうと、画家、作家、科学者だろうと、彼らが犯罪なり芸術活動なり科学研究にいそしむのは突き詰めていけば女にもてたいから、セックスをしたいからである。自分の力を誇示して、女に認めてもらいたい一心で、男たちはあらゆることをする」

どこからツッコんでいいかわからないくらいの理論ですが、まだ新しい学問分野なので仕方ない面もあるでしょう。一応巻末には、石器時代と変わらない脳の現代人が、国家レベルで少子化を選択しているという矛盾について、「説得力ある仮説は提出されていない」「依然として説明がつかない」「今もって謎である」などとエクスキューズはあります。

ともあれ、今の進化心理学の視点では、女性の目が届かないところで、男だけでゲームをするという、モテとは真逆の行為をすることの理由について、納得感ある説明はありません。今後の研究に期待というところでしょうか。

仮説3:脳科学の視点から
おそらく日本で一番有名な精神科医が書いた『精神科医が見つけた 3つの幸福』は、「幸福=脳内物質」という、わかりやすい切り口が受けてベストセラーとなりました。

あえて単純化すると、幸福感をもたらす3大脳内物質のドーパミン、セロトニン、オキシトシンが分泌される行動・思考を増やすことによって幸福になれるという理論です。

(『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の冒頭のくだりを思い出してしまったのは、自分だけでないと思いますが、著者がすすめるのは、そっち方面の世界ではありません。念のため)

ASLのプレイ中に、ピンゾロが出たら喜ぶのは、ドーパミンのおかげ。プレイが終わった後にさわやかな気分になるのは、セロトニンのおかげ。対戦相手と交流するのが楽しいのは、オキシトシンのおかげというふうになるでしょうか。

本書は、ゲームの効用については触れていないため、こちらの曲解・無理解が入り込む余地がありますが、自分がこのゲームをするのは、たまたま脳内物質が一番出やすいからという話になるでしょうか…?

「かすってはいるけど、それが全部ではないよなー」という印象です。

仮説4:リスキリングの代替の視点から
今大流行している「リスキリング」という言葉があります。

その意味は、「新しい職業に就くために、あるいは、今の職業で必要とされるスキルの大幅な変化に適応するために、必要なスキルを獲得すること」(by 経産省)。

どうやらこれが一番しっくりするのではないかと考えています。

昨年からはっきりと、自分の仕事の中身や理想像について、「軌道修正してもっとアップグレードさせたい」という欲求が芽生え始めました。

具体的にはよくわからないのですが、よりクリエイティブな仕事、マネジメントを伴う仕事をしたいという漠然としたものです。そのためにリスキリングが必要だとは認識していても、表面的にこれこれをするというのが見えていません。しかし、潜在意識のレベルでは割とその辺は承知していて、「とりあえずそのゲームが多少役立つから、やっとけ。具体的に何をすべきかいずれ気づくから」と、潜在意識からポンと背中を押されている感じです。

確かに、このゲームには、
・膨大かつ難解なルール文言を把握し読み解く記憶力や理論的思考力
・今使える「資源」を、先々のことまで考えて運用する戦略的思考力
・対戦相手とスムーズにやりとりするコミュニケーション能力
・日中の頭脳労働のあとで、夜になって頭を酷使するメンタルタフネス
・スポーツの世界で「ゾーン」や「フロー」と呼ばれる超集中力
など、さまざまな知的能力を要求・鍛錬されます。

表面的にはゲームを「楽しんでいる」つもりでも、深層の部分では近い将来に自分が手掛けるであろう仕事に対するリスキリングをしているわけです(たとえ余命3年でも)。

「楽しむ」という点では同じなのに、反射神経だけを要求されるアクションゲーム、ルールがペラ一枚のファミリーゲーム、一人で黙々とプレイするソリテアゲームに全く関心が向かない理由の説明にもなります。

リスキリングは別にしても、人間にはおのれの諸能力を向上させたいという根源的な欲求があるので、これも大きいでしょうね。

納得、納得。

ふー、正月以来、毎朝自分を悩ませてきた疑問がとけた感じです。2月からは爽やかな朝を迎えられるでしょう。

#AdvancedSquadLeader #ASL #スコードリーダー #ウォーゲーム #シミュレーションゲーム

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