新日本古代史 神武天皇〜欽名天皇 2024年3月31日
埼玉県サキタマ古墳群内稲荷山古墳出土⭕️記銘鉄剣に基付き、
下記の様に⭕️倭面上国の天皇を示します。
神武🟢1・・・実は、2世紀後半の⭕️大彦
綏靖
安寧
懿徳
孝昭
孝安
孝霊
孝元
大彦🟢1・・・記銘鉄剣には、上祖大彦と記載されて居ます。
神武記は、大彦記かも知れません。
長髄彦は、邇邇芸でしょう。
タケミナカタ一族は、阿波国ー徳島300年代迄👉400年代
諏訪湖周辺に移動しました。
これで、天日矛がツヌガアラシトと同一人物となります。
但馬国の騒動の説明が可能となります。
天照大神一族は、但馬国に移動しました。
武内宿禰🟡2・・・母 影媛、妻 宇之姫、葛比売
丹羽道主🟡3・・・母 天御影神7世孫の国忍富命の娘の息長水依媛、
妻 丹波の河上之摩須郎女・・・天照大神4世孫の娘
開花
崇神
垂仁🟡4
誉津別尊🟡5
日本武尊🟡6
景行
成務
仲哀🟡7
子:乎獲居・・・⭕️辛亥の年411年記銘鉄剣製作。⭕️忍熊命かも知れません。
埼玉県サキタマ古墳群内稲荷山古墳が墓地の可能性大です。
高句麗との戦争終結後、獲加多支鹵大王聖帝、無税6年間実施
後。
獲加多支鹵大王🟡8・・・応神、菟道、仁徳の三人に分割。籐大臣。聖帝。
皇后は髪長比売
応神
菟道稚郎子
仁徳
履中🟡9・・・讃
反正🟡10・・・珍
允恭🟡11・・・済
安康🟡12・・・興
雄略
清寧
飯豊青皇女
顕宗・・・哲、住居は太宰府
仁賢・・・満、住居は太宰府
武烈・・・牛慈、住居は太宰府、
継体🟡🟣13・・・武、上表文では、父、兄の喪に服すと記載。
安閑🟣倭国本朝2
宣下🟣倭国本朝3
上殖葉🟣倭国本朝4
十市王🟣倭国本朝5
多治比古王🟣倭国本朝6 589年東朝軍4万人と本朝軍と共に陳に出兵、4年後
帰国。12の冠位。17条の憲法。制定。608年崩御時、随より裴世清
弔問外交。
山背大兄王🟣倭国本朝7?
斉明天皇🟣倭国本朝8、舂米皇女
多治比嶋🟣倭国本朝9ーサチヤマー大海人皇子ー天武天皇
欽明🟡14倭国東朝2
⭕️今迄公開されて来た、天皇に関する情報は、何だったのでしょうか。⭕️