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”里のおばちゃん”として

 母さんは君たちが大好きで、とても愛おしく思っている。母さんのお腹の中で君たちは大きくなり、生まれた君たちを抱いて同じ床に就き、傍らで眠り、おっぱいをあげた。君たちは全員、助産院のスタッフたちが思わず笑ってしまうほど父さんに似ていたけれど、紛れもなく、君たちは母さんの子だった。
 「親子と言っても、血がつながっていたことなんてないんですよ」。
 保護者向けの講演会で、母さんはこのように話すことがある。実の子であっても、親とは違う人格を持っていて、「子どもには子どもの「性」がある」のだと。血の繋がっている子どもだからとたやすく理解できるような気になってしまったり、子どもの領域に踏み込み過ぎてしまうたりといった関わりについて、ちょっと俯瞰して眺めてみたら要らない囚われを手放せるかなという思いを込めて。
 実際に、へその緒で繋がっていても、母子の血液は交じり合わない仕組みになっている。それは、母とは異なる新たな可能性を未来に紡いでいきたいという生命の切なる願いのようにも思える。

 とはいえ、母さんが君たちに抱いている特別な感情が何に由来するのか、DNAの半分を共有している存在だからか、何年も同じ家で暮らしていた家族だからか、あるいはその両方だからなのか、はっきりとは分からない。
 君たちが実子でなかったら、母さんは違う感情を抱くことになったのだろうか?
 もう何年も前になるけど、養育里親として何人ものお子さんを(それもちょっと驚くような人数のお子さんを)育てて社会に送り出している人の講演を聴く機会があった。この人は里親として、どんな気持ちで子育てをしているのだろう。母さんはごく単純に興味を持った。
 君たちも知っての通り、母さんは愛にあふれた人間ではない。けれども、里親としてお子さんを預かった時に、君たちと接するように(あるいは君たちを育てながら親として成長したからには、それ以上に)大切な存在として関われるものか、体験してみたくなった。

 養育里親の登録へハードルを下げてくれたのは、友だちの里親体験レポートだった。彼女の家には小学生の実子が二人いたけれど、一時保護された赤ちゃんを、行き先が決まるまでの数日間お預かりしたというものだった。社会に送り出す18歳までの長期間を、里親として育てるというのはなかなかできそうにないけど、こういう形であればすぐにでもできると思った。最初に挙げた動機とはちょっと違ってしまうけれど、まずは登録してみようと背中を押された。

 そんな訳で、一昨年には養育里親として夫婦で県に登録した。登録するには研修として講義や実習に参加しなければならない。いわゆる慈善事業のようなことにあまり興味を示さない父さんが、果たして登録に賛成してくれるか半信半疑だった。母さんが一人ですることには口を挟まないだろうけど、これには父さんの協力が不可欠だったから。だけど、母さんの提案を父さんは割とすんなり受け入れてくれた。嬉々としてという感じではないにしろ、淡々と研修を受け、実習では施設の子どもと一緒に遊んだりもした。その姿は、母さんにとって小さくない驚きだった。その頃から徐々に、父さんは不登校だった末の君への接し方も変わっていったように思う。里親になるための研修が実子の子育てにも役立つのだから、こういう学びの機会は親になる全ての人に必要だろうし、そもそも子どもを授かっただけで良き親になれるなんて、期待する方が間違ってるよねって思う。

 友だちの家では登録からすぐに、次々と預かる機会があったようだけど、母さんのところには待てど暮らせど依頼は来なかった。登録から一年以上が過ぎたある日、お預かりの依頼は突然やってきた。マッチング担当のスタッフの方には、まずは数日の赤ちゃんのお預かりをと伝えてあったのだけど、電話の主は2歳の女の子と言い、しかも数日間ではなさそうな口ぶりだった。それでも、最初の依頼にはとにかく応えようと登録した時に心に決めていたので、ドキドキしながらもすぐに承諾した。
 電話のあった数時間後に、その子は家に連れてこられた。小さな子はもう寝る時間だった。大人しくしていたその子は、「そろそろ寝ようか」と声を掛けると、途端に声を上げて泣き始めた。母さんたちに知らされたのは、その子の名前と食事の好き嫌いやアレルギーの有無くらいで、それまでの暮らしぶりなどは分からない。突然知らない家に連れてこられて、そこで寝なさいと言われる。そりゃあもう泣くしかないよねと、ずっしりと重たいその子を抱っこして背中を撫でてあげるしかできなかった。
 そんな風にして始まった最初の里親の体験は、結局想定よりも大分長い、18日間にも及んだけれど、母さんにとってとても大きな、そして得難い学びになった。そのことについては、またいつか話したいと思う。

 18日間を過ごしたその子が施設へと向かうのを見送った時、寂しいというよりは無事に送り出せて良かったとホッとする気持ちの方が大きくて、こんなものなのかなと母さんは拍子抜けした。周りの人に「寂しいでしょ」とか、「名残惜しかったよね」とか聞かれるたびに、自分は結構薄情な人間かもと少々決まりの悪い気持ちになった。
 里親として、母さんはその子を大切に思いながら接した。だけど、良かれと思ってしたことが実はそうでなかったり、その子の思いが汲み取れてなかったりした。結局その子が我が家で過ごした日々をどう感じたのかは分からない。親子というより、共に暮らした一人と一人だった。
 それでも、子どもを守る仕組みの中で、つなぎ役を務めることはできたのかなと思うし、母さんにとっては大切で忘れ難い記憶だ。その子はきっともう忘れていると思うけど。

 その後、昨年の秋には里親さんのレスパイト(リフレッシュなどのための休暇)のため、小学生の女の子を種末の2日間お預かりした。我が家の庭でガマズミの実をたくさん摘んだり、薪を運ぶお手伝いをしたり、気ままに過ごしてもらった。友だちの子に来てもらうのと変わりない、楽しい「プラスワン」の週末だった。
 夏休みに入るこの週末、またその子がウチにやってくる。今回は偶然たけど、一番上の君と末の君も一緒だから、6人分のカレーを作りながら、母さんはその子が来るのを待っている。
 里親ならぬ、「里のおばちゃん」になれたらいいなと思いながら。

2024年7月19日 蟹座新月に寄せて


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